矢頭長助

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矢頭長助【やとう ちょうすけ】…矢頭右衛門七のお父さん。 病人。


長助のお父さん、梶原長右衛門は浅野長直候に寵愛を受けた近侍(きんじ)で、周囲からたいそうねたまれ「あいつの先祖、梶原代平蔵景時は讒臣(ざんしん=よくない臣下)だったから、あいつもゆくゆくは主君のためにあいならん。カジワラのゲジゲジ」とあだなされた。

気に入ってる忠義金鉄の家来がそんなアダナをされるのはイヤだと言うことで殿様は「家紋が矢羽根だから、そのゆかりを取り、矢の頭を取りヤガシラとしろ。」と改名してくれた。

それから代々断絶まで浅野家に仕えた。


さあ長矩候時代になって大騒動。

もともと裕福じゃないところへ欲がないので、堂島の貧乏借家住まいが始まる。

妻・おなみの風邪が感染ってから長助もわずらい、遂に重病となる。

貧乏所帯で病人が二人と言うことで家財一切を売り払うが間に合わず、右衛門七は「もしものことがあったら忠義も水の泡になるから、赤穂引き払いの時に大石氏から預かった配当金(百両)を使いましょう」と提案するが、長助は「アレは一大事に使うのだ!わたしに万一のことがあれば天命だ!そんなこと二度と言うな!」とキレる。

しかしそののち、回復の見込みがないと察すると息子・右衛門七に「私が死んだら、お前も部屋住みだし、盟約に加わることもない。他家に主取りして仕官して矢頭の苗字を相続してくれ」と言う。こんどは右衛門七の方が満面真朱のようになって「父の志を継ぐにきまってんじゃん!」と反論。

長助「ためした。すまん。」とニッコリ。安心して五十七歳の生涯を閉じる。


この講談本のストーリーでは盟約をしてから病気になってるが、体外のドラマでは松乃廊下事件の時点で長助はわずらっており、大評定の時などは右衛門七に抱えられるように参加する。

遂に全員城を枕に討ち死にと決まった日、部屋住みの右衛門七が参加しようとするので内蔵助が「帰ってお父さんの看病をなさい」と言うが、長助は「病気のために大事の役にも立たず、臣道も共に出来ない」と言うことを悔いて、みんなより先に切腹して果てている、と言うのがオーソドックスである。


若き右衛門七のお父さんというわりは、いつもおじいさんみたいな役者が当てられる。忠臣蔵友達とオハナシをしてると「峠の群像」の奥村公延を思い出すファンが多いようであります。