「大高源五」の版間の差分
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赤穂城倒産後は煤竹(すすだけ)売り〜京都呉服屋新兵衛。俳号「子葉(しよう)」。 | 赤穂城倒産後は煤竹(すすだけ)売り〜京都呉服屋新兵衛。俳号「子葉(しよう)」。 | ||
− | + | 12月14日の吉良屋敷で茶会があることを師匠、初代[[山田宗遍]](やまだそうへん)から聞いた人。 | |
− | + | 彼には江戸下りのときに伊豆で馬子・国蔵に言いがかりをつけられ、詫び状を書かされたエピソードがあるが、芝居などでは[[神崎与五郎]]のアクシデントとして書かれている(なんで?)。ちなみに大高が書いた詫び状は現存しているとも言われる。 | |
討ち入り前日、橋の上で宝井其角と句を交わす。宝井「年の瀬や水の流れも人の身も」。大高「あした待たるるその宝船」 | 討ち入り前日、橋の上で宝井其角と句を交わす。宝井「年の瀬や水の流れも人の身も」。大高「あした待たるるその宝船」 |
2008年8月29日 (金) 04:44時点における版
大高源五【おおたか げんご】…風流キャラ。
赤穂城倒産後は煤竹(すすだけ)売り〜京都呉服屋新兵衛。俳号「子葉(しよう)」。
12月14日の吉良屋敷で茶会があることを師匠、初代山田宗遍(やまだそうへん)から聞いた人。
彼には江戸下りのときに伊豆で馬子・国蔵に言いがかりをつけられ、詫び状を書かされたエピソードがあるが、芝居などでは神崎与五郎のアクシデントとして書かれている(なんで?)。ちなみに大高が書いた詫び状は現存しているとも言われる。
討ち入り前日、橋の上で宝井其角と句を交わす。宝井「年の瀬や水の流れも人の身も」。大高「あした待たるるその宝船」
討ち入りのときにお隣の土屋さんちに挨拶に行ってる。
享年38。
のらくろ軍曹ではのらくろが演じ、煤竹売りではなくあんまになって吉良邸を散策した。
歌舞伎に彼と宝井其角の交流を描く「松浦の太鼓」がある。