堀部安兵衛

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2014年9月14日 (日) 00:29時点におけるKusuo (トーク | 投稿記録)による版

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役者絵:大河内伝次郎
役者絵:阪東妻三郎
役者絵:木村拓哉
役者絵:渡哲也
高田の馬場の碑
新潟県新発田・安兵衛像

堀部安兵衛【ほりべ やすべえ】…人気者キャラ。最右翼の急進派。

内蔵助としばしばぶつかるキャラ。


生い立ち

越後(北陸のほう)の国、蒲原郡(かんばらごうり)新発田の城主・溝口伯耆守の家来中山安左衛門(お蔵奉行)の息子安太郎はたいへんな女道楽で、婚礼の日にフィアンセ(同じく家来・菅野六郎左衛門の娘)おみつを放って芸妓の小菊とトンヅラ。

一ノ宮でたいへんな貧乏暮らしの中、安之助(後の安兵衛)が出来る。

小菊は安之助が2歳で病死。

安之助10歳のとき、父・安太郎(ちなみに史実では父の名は中山 弥次右衛門(通称:七之助))が、腹痛でのたうち回るので、クスリをなんとかしようと表に出た際たまたま街道を通りかかった祖父(とは知らない)安左衛門の一行の家来の槍持ちが似た症状で苦しんでるのを、安左衛門の持ってた秀吉公由来の一粒の妙薬でたちどころに回復するのを見て、つい出来心が生じ、クスリの入った印籠を盗もうとしてとっつかまる。

安左衛門が事情を聞けば、目の前にいる少年はどうやら自分の孫!?印籠ごと渡してやる。

クスリをもらった父・安太郎は印籠を見て誰のホドコシかすぐに察し、稲村陰から安左衛門の一行を見守る。

たまたま移動中のカゴの戸を開け、安太郎とハタと目が合う安左衛門。黙って互いに見合わす顔と顔。

(印籠取り)


父・安太郎は自分のいきざまを悔い、荷物をたたんでナニを思うか親子で新発田に出立。

途中、うどん屋において、元・家来から「婚礼の日たいへんだったんだぞ!」と駆け落ちのひととおりをののしられ、はからずも安之助は自分の家庭環境の一伍一什(いちごいちじゅう)を知る。


新発田に到着し、安太郎は安之助に手紙を託し、安左衛門の屋敷に向かわせると(ややこしいな)、ひとり菩提の長徳寺にて懺悔の割腹。


婚礼をすっぽかされたおみつは「自分がふつつかだから振られた」と謙虚に操を守っていたが、よろこんで安之助を預かる。

16の春に元服、名を安兵衛と改めます。その秋、祖父・安左衛門病死。中山家の跡目を継ぐ。

ある日、としまざかりの義母・おみつはその美貌から悪漢・黒田郷八から激しく言いよられたあげく斬り殺される。現場となった自宅にたまたま帰ってきてい合わせた安之助は伯父・菅野六郎左衛門から直伝の念流の剣術で見事黒田を倒し、母の仇を討つ。


その後、菅野は殿さまに三度諌言したことからクビになり、江戸にでる。


安兵衛はお家の悪人・川上主膳ら十数人を斬ったりしつつ、新発田で浪人中は樋口十郎左衛門のもとで念流の修行を積み、いよいよ江戸へ出て、菅野(松平左京太夫に再就職)を訪ねる。


若いころ〜高田馬場の仇討ち

安兵衛の父親を「中山主膳」とする逸話もございます。


父・中山主膳は新発田(しばた)藩につかえたが、同僚の梶田弥三右衛門にはめられて切腹する。15歳の安兵衛は仇討ちをする。


19歳で江戸に出てきて道場破りで宿賃稼ぎ(マネージャーは宿屋の主人)。

やがて八丁堀で長屋住まいをし始め、「ケンカ仲裁屋」をインディーズで開業。仲直りさせては酒をおごらせ飲んだくれる日々におじさんが時たま訪ねてきては説教をたれた。そんな生活が続く。

ある朝、飲み友達の糊売りのばばあ・おくまが言付かってた手紙からおじさんの決闘を知り、裏の9尺(約3m)の高塀を飛び越え、ばばあのご飯を横取りしてテンションをあげ、八丁堀から高田馬場まで走って助太刀に駆けつける(でも遅刻)。おじさんは斬られるが18人(とも16人とも)やっつけて江戸中の大評判に。


大酒飲みであだ名は「けんか安」「赤鞘(あかざや)の安」「とむらい安」「呑んべえ安」「のんびり安」「グレ安」「ぐでんの安」「人斬り安」「ボロ安」「きちがい安兵衛」「ぐず安」(ひどいいわれよう)etc..。

ドラマでは畳屋、飲み屋、やくざ、ヨタカまで友達の、江戸町民の気の置けない人望の厚い愛嬌のあるキャラで描かれるのが基本。

子供からの人気もあり、のんだくれて道ばたで眠っていると子供たちが鼻の穴に指をつっこんで起こそうとする。そういう気のおけなさ。


赤穂藩就職

仇討ちの見物をしていた堀部弥兵衛の娘・ホリが自分の緋鹿の子の扱帯(ひがのこのしごきおび)を「たすきにどうぞ」と貸してあげた縁もあり、彼の腕っ節に惚れた弥兵衛はすっかり安兵衛を気に入り、八丁堀地蔵橋の長屋におもむく。

仇討ちの誉れは各方面にとどろいていたので、毎日いろんな藩からスカウトが(特に松平左京太夫さんところが、死んだおじさんの後釜にと)やってきたが、安兵衛は「別に大望があるんで」とかテキトーなことを言ってことごとく断っていた。

ある日弥兵衛が娘を連れてきたとき「大名の使者なら会わないが、婦人なら面会する」と言ったのが運のツキ。以降、連日の弥兵衛の「婿に来てはくださるまいか」という猛烈アピールを浴びることとなる。

「送ったしごきはすなわち結納のしるし。ご受納になった上はこの縁談はとうにご承知でござろう。♪高砂やこの裏船に帆を上げて〜」

唐突だし強引だし…。安兵衛は断るが弥兵衛は日参。「中山の姓を捨てることはかなわぬ身の上」と言うとしまいにゃ弥兵衛老「じゃあこっちが堀部姓を捨てて中山になってもいいから」とまで言いだし、最終的にはくどかれて養子となる。

晴れて内匠頭にお目通りの上、主従三世のお固めのお盃を賜りまして、めでたく就職。


浪士

赤穂城倒産後、吉良邸付近で八百安(やおやすでのうてはっぴゃくやす)という名で野菜を売り歩き情報収集。水菓子屋に化けて上杉家の上屋敷を探ったりもした。その後長江長衛門と名を変えて道場経営。

講談によっては安兵衛が有名人すぎて隠密行動にさわりがあるというので、漆を飲んで顔をブツブツにした上、小柄で顔を切り刻むであるとか、前歯を抜いて頭を丸めた上に顔に焼き小手を押しつけてから荒縄に砂をつけてこすって、もう顔だか鍛冶糞だかわかんなくしちゃったなんという暴挙に出る設定もある。映画にも「堀部安兵衛(日活)」では焼け火ばしを顔に当て、「血槍無双」では煮え湯を顔にかけるが、いずれもすさまじいですな。

長屋は浪士のたまり場で道場は討ち入り前の集合場所ということになってる(実際は蕎麦屋ではないようですな)。

江戸の名物男があの討ち入りメンバーだったってんで江戸っ子の間で大ニュースとなる。こどもの頃のお父さんの仇討ちを加えると、その後高田馬場、吉良邸討ち入りと、生涯に3回も仇討ちをやっちゃった。


武器は肥前忠吉。

享年34。

(奥田、ヤスベエ、高田で江戸急進派トリオ、江戸表の三士)

関連項目


関連作品

  • (日テレ)1967