「宝井其角」の版間の差分
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− | + | 宝井其角【たからい きかく】…松尾芭蕉十哲のひとり。通称「茅場町の宗匠」。 | |
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討ち入り当日、吉良邸の隣家の本多倉之助さんちで飲み会。 | 討ち入り当日、吉良邸の隣家の本多倉之助さんちで飲み会。 | ||
− | と、そこへ隣りに討ち入りに来た大高源吾がお詫びの挨拶に来て再会。其角、興奮して「あたしが末世にあんたのことは書き残しますからねっ!じゃ首途(かどで)に一句!我が雪と思えば軽し笠の上…」大高「…日の恩やたちまち砕く厚凍り」そしたら隣りの[[冨森助右衛門|富森]] | + | と、そこへ隣りに討ち入りに来た大高源吾がお詫びの挨拶に来て再会。其角、興奮して「あたしが末世にあんたのことは書き残しますからねっ!じゃ首途(かどで)に一句!我が雪と思えば軽し笠の上…」大高「…日の恩やたちまち砕く厚凍り」そしたら隣りの[[冨森助右衛門|富森]]が「あたしもあたしも!え〜飛び込んで手にもたまらぬ霰(あられ)かな」<それどころじゃなくね?(このエピソードは本多さんちが[[松浦壱岐守|松浦]]さんちで、相方が[[岡嶋八十右衛門]]だったりする) |
Wikiでは、実際大高源五と仲良しだったとある。討ち入りを見物したともされている。 | Wikiでは、実際大高源五と仲良しだったとある。討ち入りを見物したともされている。 |
2008年9月26日 (金) 11:34時点における版
宝井其角【たからい きかく】…松尾芭蕉十哲のひとり。通称「茅場町の宗匠」。
討ち入りの前日、両国橋で友達の大高源五に久しぶりに(倒産後初めて)会い、句を交わす。彼があんまりみすぼらしいかっこうなんで着ていた羽織をやる。
討ち入り当日、吉良邸の隣家の本多倉之助さんちで飲み会。
と、そこへ隣りに討ち入りに来た大高源吾がお詫びの挨拶に来て再会。其角、興奮して「あたしが末世にあんたのことは書き残しますからねっ!じゃ首途(かどで)に一句!我が雪と思えば軽し笠の上…」大高「…日の恩やたちまち砕く厚凍り」そしたら隣りの富森が「あたしもあたしも!え〜飛び込んで手にもたまらぬ霰(あられ)かな」<それどころじゃなくね?(このエピソードは本多さんちが松浦さんちで、相方が岡嶋八十右衛門だったりする)
Wikiでは、実際大高源五と仲良しだったとある。討ち入りを見物したともされている。
歌舞伎のスピン・オフ「松浦の太鼓」では本多さんちじゃなくて松浦さんちで飲み会をやっている。
「元禄繚乱」では忠臣蔵がお家芸の浪曲師国本武春さんが演じた。
羽倉斎って人もお茶会の日取りを教えた先生とされるが、まずドラマにでてこない。