村上喜剣
村上喜剣【むらかみ きけん】…九州出身。薩州、島津の家来。外伝の創作キャラクター。普通は侍言葉だが中には「さしむかいでごわす」というわざとらしい九州弁で表現される浪曲もある。
お家改易後、山科村に引っ込んだ内蔵助に仇討ちをするのかしないのかの本心を聞きたくて面会に行くが、いつも留守なので内蔵助が遊興にふけってる京都は四条畷(しじょうなわて)の岡場所まで訪ねてくる、一面識も無いファン。
往来で呼び止め自己紹介。往来じゃなんだからと一力茶屋の奥座敷でさしむかい。しかし内蔵助は「あだうちなんぞは野暮」の一点張りに喜剣ショック。内蔵助はせっかくだからと酒や女を薦めるが「寄るなさわるな汚らわしいっ!おしろい塗った化け物ども!」とえらいことを言い、内蔵助にパンチをお見舞いする。
さらに「おのれ腰抜け!」「恩知らずの犬ざむらい」とののしり、足の先でタコをつまんで差し出し「食らえ」と侮辱三昧。
「お〜これは大好物。手を出して足を頂くタコさかな」とうまいことを言う内蔵助。喜剣はすっかり愛想を尽かせて畳を蹴って去っていく。
そのあと喜剣は東日本方面を青森にいたるまでぐる〜っと旅に出て、元禄16年のある日、品川は高輪でお茶してるところに墓参の帰りの職人たち30にんばかりに出会う。
喜「町人。今日は祭りか?」
町「てやんでえ。浅野の家来の墓参りよ!」
喜「なんと!赤穂浪士がなんとかいたしたか!?」
町「なんにもしらねえのか唐変木。去年の暮れの14日に(後略)…というわけよ!」
喜「なんと!してその中に大石内蔵助あるや!?」
町「あるやにもねえやにもリーダーじゃねえかバカ提灯!」
喜「ガ〜〜ン!!」
町「おれたちゃ細川様のところの出入りの職人よ。そういえばよう、兄弟。
お預けになった17人の話し相手、堀内様から聞いた
村上ナントカって奴の話はいまだに癪がさわるなあ。
京都で大石様に仇打つ心があるか問いただし、侮辱三昧したてえじゃねえか。
世の中の人はバカで利口の真似をする。大石様は利口でバカの真似をしたんだ。えれえなあ」
みんなが品川の宿へ女郎買いに行っちゃったあと「ばばあ…泉岳寺とは…どの方角じゃな…」
喜剣はそれからというもの、雨の日も風の日も泉岳寺まで通いけり。
しまいにゃ「あの世でお詫びを」とシャーシャー雨のふる中、泉岳寺の大石の墓前で割腹する。
泉岳寺の四十七士のお墓のひとつに「刃道喜剣信士」という法号の墓碑があって、長いことそれは村上喜剣のものと思ってた人が多かったそうだが、これは明和4年(1767)に岱潤という僧が墓碑を建てて以降に生まれた風説だと、元・赤穂大石神社宮司の飯尾精さんの「忠臣蔵の真相」(新人物往来社)にあり、この本には、上記フィクションストーリーの出どころ(戯作者・柳亭種彦)や伝承のいきさつも紹介されている。
この墓には寺坂吉右衛門のお墓であるという説と、萱野三平のお墓であるという説があったそうだが、明治になって間十次郎のお墓の横に寺坂吉右衛門のお墓を建てたことで、いまではもっぱら、こっちのほうは萱野三平のものということで親しまれている(?)。