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忠魂義烈 実録忠臣蔵

849 バイト追加, 2020年7月3日 (金) 19:53
編集の要約なし
監督は内蔵助役の伊井蓉峰という人ともめてたらしいが(伊井蓉峰という芸名の語源は「良い容貌」から来てるとか。当時にしては珍しく自家用車も持ってた成功者)この人とにかく監督の言うことを聞かなかったそうで、自己判断でものすごくクサいオーバーアクションで違和感を丸出し。監督は頭を抱えてしまい、当時の新聞には「神経衰弱」とも報道された。
もしかしたら監督は編集中に「これじゃまとまらねえや!」とブチ切れて、わざとフィルムを燃やしたのかも、と息子・マキノ雅弘は考えているようです。(出典:TBS系「あゝ、にっぽん活動大写真」/畠剛 著「松田定次の東映時代劇」)<small>註01</small>
DVDが2種類出ていますが、安い方は高い方より画像が暗く痛みが激しく、さらにズタズタにカットされてて47分も短く、活弁も音楽もなにもない無音ですが、ところどころ裏焼きだったり、タイトルロールのデザインが違ってたり、ちょいちょい興味深い愛嬌のある一本。
 
 
 
註01…「映画で生きていこうと決めたのなら思い切って舞台はやめなさい」「判官やらせたるから」と牧野省三に言われた若き片岡千恵蔵は、この世界に入った片岡少年劇からの恩人&師匠の、片岡仁左衛門(11th)の追善公演を蹴って、義理を欠いてまで撮影所に駆けつけたのに、当てられた役は[[服部市郎右衛門]]と[[大高源五|大高源吾]]の二役だったという。「判官やらせるとは言ったが、内匠頭をやらせるとは言うてまへん」
 
「その時の悔しさ、悲しさときたらありませんでした。辞めようと思いました…。」(別冊近代映画 昭和34年2月号)という、有名な逸話もあるので、怨念が効いたもかも知れません。
 

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