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新春ワイド時代劇 忠臣蔵〜その義その愛

1,507 バイト除去, 2014年12月23日 (火) 18:30
編集の要約なし
お家断絶後の、上方の長分別に待ちくたびれる江戸の浪士の話がメインで、[[堀部安兵衛|安兵衛]]と[[大石内蔵助|内蔵助]]の温度差〜緊張感が上手に描かれており、愉快で整っており、それなりの意欲作。の温度差〜緊張感が上手に描かれており、それなりの意欲作。特に第1話は愉快で整っており、イキオイも良い。
安兵衛の気性はこんな感じでなくっちゃ、というイメージをいいかんじに内野聖陽が演じきっていて、良かった。
役者さんを讃えて最初は三つ星だったが、放送から一ヶ月経っても以下のモヤモヤが解消されないので二つ星に変更しました。役者さんやドラマの持つ独特の鼻息に魅せられて最初は三つ星だったが、放送から一ヶ月経っても以下のモヤモヤが解消されないので二つ星に変更しました。
とにかくビジュアル的にも、バックグラウンド的にも、「堀部安兵衛」を形作るときに欲しいトレードマークといえる素材の全部<small>(注)</small>が捨てられた。コレは痛かった。まず「堀部安兵衛」を形作るときに欲しいトレードマークといえる素材がいろいろが捨てられていた。コレは「安兵衛物語」ファンのあたしには痛く、あとを引いた。
安兵衛像にほしかった要素としては、黒羽二重、大酒飲み、あだ名、けんか仲裁、バラエティ豊かな長屋の住人(本作ではじゅっぱひとからげに"町民")、面倒見てくれてるとなりの糊屋のばばあ、本作をぼんやりと思い出すとき、「アレがなかったなあ・・」と、大酒飲み、あだ名、けんか仲裁、糊屋のばばあ、[[中津川友範]]、[[堀部弥兵衛|弥兵衛]]父娘の馬場の目撃〜たすきのエピソード、弥兵衛の日参、好敵手・[[清水一学]]、畳替え事件での活躍、「よけいな事をするな親不孝者!」など、'''以上のすべてが無い'''。父娘の馬場の目撃〜たすきのエピソード、畳替え事件での活躍、「よけいな事をするな親不孝者!」といった、失われた「定番」のあれこれを指折る。コレは割愛し過ぎ。
(注:ごめんなさい。放送当時「赤鞘」も無しと書いたが、再放送を見たら中山姓時代、鞘は赤っぽかったです。訂正してお詫び申し上げます。)安兵衛と道場仲間の吉良側キャラとの友情がたいへん素敵なのにその友の名は[[清水一学]]ではない。ファン、置いてけぼり。
定番の具を全部捨てられて「コレはコレで美味しいと思いますけど」と、食べたこともない、でもそれなりに美味しそうな具で、それでいて「広島風お好み焼き」「大阪風たこ焼き」というおなじみの肩書きのシロモノを差し出されたような違和感と言ったら通じるだろうか。この融通は「みんなで忠臣蔵世界を楽しみましょう」という気合を欠いている。
安兵衛と道場仲間の吉良側キャラとの友情をわざわざ用意しておきながら、その名を清水一学としなかった理由はナニか??
ヘルメットをかぶってない&ボスキャラのデザインがまるで違う映画「CASSHERN」とか、人を殺さない!?戦国忍者「RED SHADOW 赤影」とかを思い出した。
ヘルメットをかぶってない&ボスキャラのデザインがまるで違う映画「CASSHERN」とか、人を殺さない!?戦国忍者「RED SHADOW 赤影」とかを思い出した。なんで近年のリメイクはわざわざ定番をぶちこわすのだろう??なんで近年のリメイクはわざわざ定番をぶちこわすのか?
大好きな娯楽時代劇「逃亡者(のがれもの)おりん」もやってるプロデューサーなのに、あのサービス精神に富んだ人が、どうしてビジュアルや設定にこだわらなかったのか??不可解千万!(<吉良の台詞)。大好きな娯楽時代劇「逃亡者(のがれもの)おりん」もやってるプロデューサーなのに、あのサービス精神に富んだ人が、どうしてディティールや設定にこだわらなかったのか??不可解千万!(<本作の吉良の台詞)。
おりんのボディスーツ姿に短パン履かすくらい残念だった。
じゃっかん、弁護すると、そうした要素を「知らなかった」というわけでは無さそうなんですな。それらの要素を彷彿とさせるものが別のカタチで出てくるので、なにか考えはおありだったのでしょう。お茶の間の安兵衛ファンには伝わってこないけど。さて、ばっさり断舎利したからにはあとによほど見せ場があるのだろうと期待が高まるが、2話目のお家大変以降はのらりくらりの内蔵助のようすにじれこんだ江戸浪士のようすが暗く重い。これが6時間延々と続く。(展開もさることながら、舘ひろしの内蔵助が重厚すぎて余裕が無く息苦しい。)
黒羽二重は最近放送されたドラマ「JIN〜仁〜」で内野聖陽が演じた龍馬像とかぶっちゃうから避けたかもしれない。また、脱盟者が言い分として「わたしは殿の顔も見たことないのに、なんのために貧乏してまでXデーを待ってなくちゃいけないんだ??」などと、歴史バラエティに出てくるようなこざかしい視点の'''近代的'''な台詞を浪士が言ったりするのが甚だナンセンス。(顔を知る知らないよりも代々禄をもらってる大恩があるのに…。)
また、全体のムードから言えば、あまり中山姓時代の安兵衛を豊かに描きすぎると、後半の仕官〜断絶〜討ち入りとのコントラストがむずかしくなるので割愛したのかも。たしかに過去の安兵衛作品にはそこんところがアンバランスなものもあった。(「[[忠臣蔵 暁の陣大鼓]]」などがその悪い例だが、脚本の沼田幸二、国弘威雄、橋本忍あたりの共同作業(「 [[剣]]」)はすごくうまく処理している。)本作の特徴として随所にこれに似た、江戸時代当時を反映しない台詞が散りばめられ、長時間ドラマにつきあってくたびれたこっちの心持ちにそのハイカラな価値観は簡単にリンクし、急進派が逸る理由が「とにかくやっつけたい!」というワクワクとした血気からではなく「テンションたもてなさそうだから」と映りはじめると、いつの間にか「討ち入りやめちゃえばいいのに」などと声を掛けたくなってる自分がいる。
さて 内蔵助の長分別を待ってる浪士を時間をかけて説得力たっぷりに描こうとすると、現代人は脱盟者に同調してしまう。 あと、脱盟者の言い分として「わたしは殿の顔も見たことないのに、なんのために貧乏してまでXデーを待ってなくちゃいけないんだ??」という、歴史バラエティに出てくるようなこざかしい視点の台詞はドラマにはまったく不要。ていうか顔を知る知らないよりも前に代々禄をもらってる大きな恩があるのに…。そんな'''近代的'''なことを言う武士や足軽の存在をわざわざ登場させるのはナンセンスの極み。まじめに話してる最中に「そう言えばこのチョンマゲ頭って、ヘンなヘアスタイルだと思わないかっ??」って時代劇で言うくらいあり得ない。 随所にこれに似た、当時を反映しない近代的な台詞が散りばめられ、結果7時間もドラマにつきあってるお茶の間のくたびれた心持ちにそのハイカラな価値観は簡単にリンクしちゃって、「討ち入りたい」浪士たちへの執着が剥がされる。 しまいには「悲願」の成就というテーマがブレて、最終的にわたしには討ち入りがじゃっかん殺伐としたものに見えました。これ、ダメでしょう。

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