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あまりにも勉強をしないため、母親がくすおをお祓い(祈祷だったかな。東十条あたりの寺?)に連れて行ったこともあったが、もちろん改善されず、たまに頑張るとテストの成績は良かったので、勉強以外に楽しいことが多すぎてモチベーションが上がらないだけなんだなと自覚していた。 中3の頃、B5サイズの壁新聞を自主的に掲示板に貼るようになり、始めは担任にチェックしてもらっていたが、教員の告発系の記事もあったので、担任に検閲されたのをキッカケに、タイトルに「無許可」の文字を入れてゲリラ的に貼るようになった。次第に、リリース日になると、ほかのクラスからも掲載を楽しみに見に来てくれる人も増えていった。担任を含め、教室を訪れる各教員も、読みこそはすれ、誰もをそれを剥がすことはなかった。 いっぽう、あまりにも勉強をしないため、母親がくすおをお祓い(祈祷だったかな。東十条あたりの寺?)に連れて行ったこともあったが、もちろん改善されず、たまに頑張るとテストの成績は良かったので、勉強以外に楽しいことが多すぎてモチベーションが上がらないだけなんだなと自覚していた。
石ノ森先生との出会いで、絵で食べていこうと活路を見出し、東横線菊名の美大予備校に通い始める。 石ノ森先生との出会いで、絵で食べていこうと活路を見出し、東横線菊名の美大予備校(系の画塾)に通い始める。
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東京都港区・東京慈恵会医科大学附属病院で生まれる。
この病院は、討ち入りのあと'''[[堀部安兵衛]]'''や'''[[大石主税]]'''、'''[[不破数右衛門]]'''らが最初に落ち着いた愛宕下の伊予松山藩・松平隠岐守の上屋敷跡(しっかり古地図を見ると、じゃっかんズレてるが黙っていようっと!)。ちなみに'''[[堀部弥兵衛|堀部家]]菩提寺の青松寺'''の真っ正面。また'''[[畳屋|畳替え事件]]の増上寺'''の近所であり、何度も'''[[浅野内匠頭]]'''や'''[[大石内蔵助]]'''を演じた片岡千恵蔵の終焉の地でもあります。を演じた片岡千恵蔵や長谷川一夫の終焉の地でもあります。
(慈恵看護専門学校の前身、看護婦教育所は鹿鳴館バザーの収益で建てられたが、開催は新発田藩・溝口家12代藩主の娘から有栖川家に嫁いだ栄姫(はるひめ。結婚して董子…ただこ)さんによるものである。'''[[堀部安兵衛]]'''は溝口家から姓を分けてもらってる一族。父・'''中山弥次右衛門'''は藩士。)
'''「[[怪獣総進撃]]」'''や「ゴジラ対メカゴジラ」をノートにコミカライズしたり、クラスメイトを登場させる巨大ヒーロー物や野球漫画を描いては回し読みしてもらってたが、人気に図に乗ってたらいつの間にかクラス全員から無視される羽目になり、猛省する。
このころ、雑誌「ぴあ」に毎号似顔絵パロディイラストを読者投稿して掲載してもらうなどしていたが、高2のある日、縁あって「仮面ライダー」や「'''マンガ日本の歴史・忠臣蔵と生類憐み'''」で有名な石ノ森章太郎先生にマンガを見てもらい、とりあえず悪く言われなかったことですっかりその気になり、絵描きの道を目指す。お礼に出かけた場所が国立演芸場の楽屋だったことも手伝ってか、ソワソワするもりいの様子を見たその時の先生のアドバイスは「きみは噺家をめざしたほうがいいんじゃないか?」だった。
自分の絵心に対する、周囲の褒めそやしが影響してか「どうにかなるだろう」と、たかをくくって、学業パフォーマンスを上げる努力を一切しなかったので、学科試験の多い美大受験は諦め(それでもタマビは受験して不合格。ムサビは願書を出し忘れた)、予備校の講師のすすめもあって、ハナから都心にあって通いやすい桑沢デザイン研究所(後述)に狙いを定めてデッサンや色彩構成の受験勉強に専念をした。
3年ほどして'''[[菅谷半之丞]]'''の寓居していた谷中のそばに転居。しばらくいた。(台東区での営業は10年以上になった。)
== イラストデビュー以降 ==