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無声映画なんですけど、とにかくいま見るとかわいらしいし、わかりやすいし、ナニもかも好印象なんですよね。満州事変のちょい前のサイレント映画なんですけど、とにかくいま見るとかわいらしいし、わかりやすいし、ナニもかも好印象。
ほかではない演出も多い。ほかの作品では無い演出も多い。
人工ライトより太陽光の方がいいのか、ロケが意外に多いのがまた画面をのびのびさせている。討ち入りも真っ昼間の外で取ったりしてるご愛敬もある。(大石東下りも屋外)人工ライトが未発達で太陽光の方が好まれ、ロケが意外に多いのがまた画面をのびのびさせている。大石東下りも屋外だし、討ち入りも真っ昼間の外で撮ったりしてるご愛敬もある。
いろいろ見たけど、本当の雪のところで討ち入りを撮影してるのはこの映画くらいだなあ。遊里の庭で大勢の芸者衆がワーッと集まってくるんでナニが始まるんだろうと思ったらみんな芝生の上にゴロゴロ寝っ転がり始めた。「はてな」と思って見ていると人文字で「[[大石内蔵助|うきさま]]」というカタチを作っていた。このカット、前後とまったく関連が無く、ただただかわいい(笑)。
あまりにも吉良が見つからないんでいったんみんなで自害するふりをするというけったいな作戦も出て参ります。忠臣蔵映画はいろいろ見たけど、本当の雪のところで討ち入りを撮影してるのはこの映画くらい。(そうかと思うと雪に見立てた白い布(所謂キャラコというやつだろか?)の上を走ってたりもするが)
さて、すごく特徴的な残念がございます。あまりにも吉良が見つからないんでいったんみんなで差し違えて自害するふりをするというけったいな陽動作戦も出て参ります。
この映画、当時としては破格の制作費で「未曾有の超大作」だったらしいんですが、編集中にマキノ省三監督の自宅から昭和3年3月6日午後6時15分に出火したとかで'''フィルムの大部分を消失'''させちゃったんですって。残存ネガを編集して公開されたらしいんですな。火事を出すなよ〜!自宅で編集ってなんだよぉ。
今回見たものは、追加撮影されたマキノ雅弘監督の「間者」という映画(同キャストで追加撮影された作品)をところどころ挿入してつないでるものだそうです。さて、すごく特徴的なバック・グラウンドがございます。
んま、火事を出した監督は家は丸焼けにしてもフィルムは助けたんで、その根性は買いますが、この映画のスチルを集めた本を見るといろんなおもしろそうなシーンがあるのに、それらが全部無くて、いかにも残念。…遊里に刺客が現れて寺坂吉右衛門(アラカン)が応戦するところとか、大石邸のシークエンスいろいろ<女中が子供とヘン顔対決してる。頭からそば粉だらけでなにやらコミカルそうなくすや。吉良邸に侍女として侵入したが捕まって縛られる早坂藤左衛門の娘千賀。この映画、当時としては破格の制作費で「未曾有の超大作」だったらしいんですが、編集中に牧野省三監督の自宅から昭和3年3月6日午後6時15分に出火したとかで'''フィルムの大部分を消失'''させちゃったそうです。結局残存ネガを編集して公開されたらしいんですな。火事を出すなよ〜!
んまぁ、監督ご自身が一番残念だったろうけどなあ。内蔵助役の伊井蓉峰とももめてたというし、この映画に出られなかった役者陣からだいぶ反感を買ってたそうで、敵が多かったんですかねえ。<って、放火された的な言い方ですが。現在上映会やDVDで観られるのは、監督の息子・マキノ雅弘監督が追加撮影した「間者」という映画(←「実録」が焼けたので、急きょ同キャストで"義士外伝"として追加撮影された作品。アラカンや千恵蔵も協力した。)をところどころ挿入してつないでるもの。 この火事にはちょっとした伝説がある。 監督は内蔵助役の伊井蓉峰という人ともめてたらしいが(伊井蓉峰:いいようほう…という芸名の語源は「良い容貌」から来てるとか。「新派劇の大統領」とあだ名され、当時にしては珍しく自家用車も持ってた成功者)この人、とにかく監督の言うことを聞かなかったそうで、自己判断でものすごくクサいオーバーアクションで違和感を丸出し。監督は頭を抱えてしまい、当時の新聞には「神経衰弱」とも報道された。<small>(註01)</small> もしかしたら監督は編集中に「これじゃまとまらねえや!」とブチ切れて、わざとフィルムを燃やしたのかも、と息子・マキノ雅弘は考えているようです。<small>(「あゝ、にっぽん活動大写真」TBS 1978年/畠剛 著「松田定次の東映時代劇」ワイズ出版)(註02)</small> あらためてこの映画のオリジナルバージョンのスチルを集めた本を見ると、消失した場面にはいろいろ愉快なシーンがあったようだ。 …大石邸のシークエンスいろいろ<女中が子供とヘン顔対決してる、とか頭からそば粉だらけでなにやらコミカルそうな[[蕎麦屋|くすや久兵衛]]。吉良邸に侍女として侵入したが捕まって縛られる速水藤左衛門の娘千賀。見たかったな〜。動いてるところ。 DVDが2種類出ていますが、安い方は高い方より画像が暗く痛みが激しく、さらにズタズタにカットされてて47分も短く、活弁も音楽もなにもない無音ですが、ところどころ裏焼きだったり、タイトルロールのデザインが違ってたり、ちょいちょい興味深い愛嬌のある一本。(附言:古い映画だとネガやプリントが流出し、パブリックドメインみたいになってしまってるので勝手にDVD化される粗悪版が多いが、コレはコレで貴重。) 註01…「うぬぼれ。度が過ぎてますわ」「演技なんてものやない。カツドウシャシンの約束しりまへん」「千恵さんやらワテがマキノやめようと、密かに決心した理由の一つはこの伊井蓉峰」「焼けなんでもあの作品は失敗やったと思います」…と、嵐寛寿郎(本作の[[脇坂淡路守]]/[[小林平八郎]]/[[寺坂吉右衛門]])はさんざんなコメントをしている。<small>(「聞書アラカン一代 鞍馬天狗のおじさんは」竹中労 ちくま文庫)</small> 註02…火災現場に居合わせたカメラマン大森伊八は、牧野省三監督が避難先で「『忠臣蔵』は焼けて良かった」と自分に言い聞かせるように言っていたという。<small>(「聞書アラカン一代 鞍馬天狗のおじさんは」竹中労 ちくま文庫(「回想・マキノ映画」1971年牧野省三先生顕彰会発行 所収))</small> <附言> 「映画で生きていこうと決めたのなら思い切って舞台はやめなさい」「判官やらせたるから」と牧野省三に言われた若き片岡千恵蔵は、この世界に入った片岡少年劇からの恩人&師匠の、片岡仁左衛門(11th)の追善公演を蹴って、義理を欠いてまでこの作品の撮影所に駆けつけたのに、当てられた役は[[服部市郎右衛門]]と[[大高源五|大高源吾]](ママ)の二役だったという。「判官やらせるとは言ったが、内匠頭をやらせるとは言うてまへん」 「その時の悔しさ、悲しさときたらありませんでした。辞めようと思いました…。」という、有名な逸話もあるので、怨念が効いたもかも知れません!? (加筆:別冊近代映画」昭和34年2月号には、当てられた役について[[大高源五|大高源吾]]とあるのだが、本編(廉価版)クレジットには[[間十次郎|間重次郎]]とあり、田山力哉「千恵蔵一代」p35(社会思想社)およびWikipediaには[[萱野三平]]とある。確認しようと目を皿のようにして作品を見ても、よくわからなかった💦。つまり"どうでもいい役"を当てられたわけだ。) <加筆> 「実録忠臣蔵」というタイトルのサイレント映画は尾上松之助主演の「実録忠臣蔵 松の間刃傷」(1910。横田商会)をかわきりに、その後1914年(会社不明)、1918年(日活)、1920年(国活)、1921年(日活)、1922年(松竹)(大活)、1923年(帝キネ)、1926年(日活)…と本作よりも前にいっぱいあるのでご混同あそばされませぬように。<small>(出典:兵庫県赤穂市発行 「忠臣蔵」第五巻)</small> 仮名手本忠臣蔵からの脱皮を考えた牧野省三監督の造語と言われております(要出典 映画では牧野監督が最初かもだが、言葉自体は福地桜痴先生が最初で、1890年(明治23年)に歌舞伎座でそのタイトルで興行が打たれた。ちなみに7幕15話のうち、大詰にある「土屋家庭先」はその後独立し、いまでもしばしば見られる[[松浦鎮信|「松浦の太鼓」]]になった。) <div class="thumb tleft"><div width="240px"><amazon>B001RR1A54</amazon><amazon>B002GI516C</amazon></div></div> [[Category:くすおの忠臣蔵作品評|1928]]
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{{Cinema|制作=マキノプロ|公開=1928|内蔵助=伊井蓉峰|星=3|頃=}}