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忍法忠臣蔵

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{{Cinema|制作=東映|公開=1965|内蔵助=大木実|星=1|頃=}}
[[画像:ninpo_pos.jpg|thumb|ポスター。]]
ギャング路線は難しかったものの、この前年64年にスタートした任侠映画はヒットしていた(本物のやくざとのパイプが作品にリアリティを与え、シリーズを重厚にしたという)。ギャング路線は難しかったものの、この前年64年にスタートした任侠映画はヒットしていた(東映と"本物のやくざ"とのパイプが作品にリアリティを与え、シリーズを重厚にしたという)。
重役の岡田茂は、任侠映画のヒットを「観客は未知の禁断の世界を覗き見したいものだ」と分析し、60年代なかばから独立プロを中心に大量に制作されるようになった「ピンク映画」にも目を向ける。重役の岡田茂は、任侠映画のヒットを「観客は未知の禁断の世界を覗き見したいものだ」と分析し、「ピンク映画」(60年代なかばから独立プロを中心に大量に制作されるようになった)にも目を向ける。
こうして東映は「セックス映画」の導入に積極的になり、エロ路線「東映ポルノ」が確立していった。<small>(「あかんやつら 東映京都撮影所血風録」p261〜 春日太一 文藝春秋)</small>
本作は、そうした一連の「流れ」が切り替わる、まさに端境期(というか先駆け)に位置しており、前年公開の「くノ一忍法」シリーズ、第3弾に当たる。本作はそうした一連の「流れ」が切り替わる、まさに端境期(というか先駆け)に位置している。 きっかけは前年公開の「くノ一忍法」(←中島貞夫が言い出しっぺで監督デビュー作。東大で同期だった倉本聰と脚本を執筆した)で、これがヒットし、シリーズ化。「忍法忠臣蔵」はその第3弾に当たる。(3弾目にして監督、脚本も変わって作品にズレや歪みを感じる。)  また映画産業の斜陽期にあって、当時「量産」を目指していた東映は制作体制をスリム化し、収益が見込みにくい時代劇は本作のようにモノクロである。