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忠魂義烈 実録忠臣蔵

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編集の要約なし
遊里の庭で大勢の芸者衆がワーッと集まってくるんでナニが始まるんだろうと思ったらみんな芝生の上にゴロゴロ寝っ転がり始めた。「はてな」と思って見ていると人文字で「[[大石内蔵助|うきさま]]」というカタチを作っていた。このカット、前後とまったく関連が無く、ただただかわいい(笑)。
忠臣蔵映画はいろいろ見たけど、本当の雪のところで討ち入りを撮影してるのはこの映画くらい。(そうかと思うと雪に見立てた白い布(所謂キャラコというやつだろか?)の上を走ってたりもするが)忠臣蔵映画はいろいろ見たけど、本当の雪のところで討ち入りを撮影してるのはこの映画くらい。(←もっとも、昔は大雪が降ると映画スタッフは天龍寺に討ち入り場面のストック撮影のために飛んでいったという。当時は雪を作る余裕がないので天運を待ったのだとか<small>(「日本映画の若き日々」稲垣浩 中公文庫)</small>。そうかと思うと雪に見立てた白い布(所謂キャラコというやつだろか?)の上を走ってたりもする。)
あまりにも吉良が見つからないんでいったんみんなで差し違えて自害するふりをするというけったいな陽動作戦も出て参ります。
さて、すごく特徴的なバック・グラウンドがございます。
この映画、当時としては破格の制作費で「未曾有の超大作」だったらしいんですが、編集中にマキノ省三監督の自宅から昭和3年3月6日午後6時15分に出火したとかでこの映画、当時としては破格の制作費で「未曾有の超大作」だったらしいんですが、編集中に牧野省三監督の自宅から昭和3年3月6日午後6時15分に出火したとかで'''フィルムの大部分を消失'''させちゃったそうです。結局残存ネガを編集して公開されたらしいんですな。火事を出すなよ〜!
現在上映会やDVDで観られるのは、監督の息子・マキノ雅弘監督が追加撮影した「間者」という映画(同キャストで追加撮影された作品)をところどころ挿入してつないでるもの。現在上映会やDVDで観られるのは、監督の息子・マキノ雅弘監督が追加撮影した「間者」という映画(←「実録」が焼けたので、急きょ同キャストで"義士外伝"として追加撮影された作品。アラカンや千恵蔵も協力した。)をところどころ挿入してつないでるもの。
この火事にはちょっとした伝説がある。
監督は内蔵助役の伊井蓉峰という人ともめてたらしいが(伊井蓉峰という芸名の語源は「良い容貌」から来てるとか。当時にしては珍しく自家用車も持ってた成功者)この人とにかく監督の言うことを聞かなかったそうで、自己判断でものすごくクサいオーバーアクションで違和感を丸出し。監督は頭を抱えてしまい、当時の新聞には「神経衰弱」とも報道された。監督は内蔵助役の伊井蓉峰という人ともめてたらしいが(伊井蓉峰:いいようほう…という芸名の語源は「良い容貌」から来てるとか。「新派劇の大統領」とあだ名され、当時にしては珍しく自家用車も持ってた成功者)この人、とにかく監督の言うことを聞かなかったそうで、自己判断でものすごくクサいオーバーアクションで違和感を丸出し。監督は頭を抱えてしまい、当時の新聞には「神経衰弱」とも報道された。<small>(註01)</small>
もしかしたら監督は編集中に「これじゃまとまらねえや!」とブチ切れて、わざとフィルムを燃やしたのかも、と息子・マキノ雅弘は考えているようです。<small>(「あゝ、にっぽん活動大写真」TBS/畠剛 著「松田定次の東映時代劇」)註01(「あゝ、にっぽん活動大写真」TBS 1978年/畠剛 著「松田定次の東映時代劇」ワイズ出版)(註02)</small>
註01…「映画で生きていこうと決めたのなら思い切って舞台はやめなさい」「判官やらせたるから」と牧野省三に言われた若き片岡千恵蔵は、この世界に入った片岡少年劇からの恩人&師匠の、片岡仁左衛門(11th)の追善公演を蹴って、義理を欠いてまで撮影所に駆けつけたのに、当てられた役は[[服部市郎右衛門]]と[[大高源五|大高源吾]]の二役だったという。「判官やらせるとは言ったが、内匠頭をやらせるとは言うてまへん」総指揮:牧野省三/脚本:山上伊太郎 西条照太郎/監督:牧野省三
「その時の悔しさ、悲しさときたらありませんでした。辞めようと思いました…。」 ----   註01…「うぬぼれ。度が過ぎてますわ」「演技なんてものやない。カツドウシャシンの約束しりまへん」「千恵さんやらワテがマキノやめようと、密かに決心した理由の一つはこの伊井蓉峰」「焼けなんでもあの作品は失敗やったと思います」…と、嵐寛寿郎(本作の[[脇坂淡路守]]/[[小林平八郎]]/[[寺坂吉右衛門]])はさんざんなコメントをしている。<small>(「聞書アラカン一代 鞍馬天狗のおじさんは」竹中労 ちくま文庫)</small>  註02…火災現場に居合わせたカメラマン大森伊八は、牧野省三監督が避難先で「『忠臣蔵』は焼けて良かった」と自分に言い聞かせるように言っていたという。<small>(別冊近代映画 昭和34年2月号)(「聞書アラカン一代 鞍馬天狗のおじさんは」竹中労 ちくま文庫(「回想・マキノ映画」1971年牧野省三先生顕彰会発行 所収))</small>という、有名な逸話もあるので、怨念が効いたもかも知れません!?    <附言> 「映画で生きていこうと決めたのなら思い切って舞台はやめなさい」「判官やらせたるから」と牧野省三に言われた若き片岡千恵蔵は、この世界に入った片岡少年劇からの恩人&師匠の、片岡仁左衛門(11th)の追善公演を蹴って、義理を欠いてまでこの作品の撮影所に駆けつけたのに、当てられた役は[[服部市郎右衛門]]と[[大高源五|大高源吾]](ママ)の二役だったという。「判官やらせるとは言ったが、内匠頭をやらせるとは言うてまへん」 「その時の悔しさ、悲しさときたらありませんでした。辞めようと思いました…。」という、有名な逸話もあるので、怨念が効いたもかも知れません!? (加筆:別冊近代映画」昭和34年2月号には、当てられた役について[[大高源五|大高源吾]]とあるのだが、本編(廉価版)クレジットには[[間十次郎|間重次郎]]とあり、田山力哉「千恵蔵一代」p35(社会思想社)およびWikipediaには[[萱野三平]]とある。確認しようと目を皿のようにして作品を見ても、よくわからなかった💦。つまり"どうでもいい役"を当てられたわけだ。)