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あの東映が「[[ギャング忠臣蔵]]」で失敗の辛酸をなめて、いまやこのような作品で自慢の「忠臣蔵」をリリースしなければいけない時代の流れを、当時の千恵蔵をはじめとするあの看板スター達はどのような思いで見ていたろうか。」で失敗の辛酸をなめて、いまやこのような作品で自慢の「忠臣蔵」をリリースしなければいけない時代の流れを、当時の千恵蔵をはじめとする、かつての看板スター達は、どのような思いで見ていたろうか。 ギャング路線は難しかったものの、前年64年にスタートした任侠映画はヒットしていた(本物のやくざとのパイプが作品にリアリティを与え、シリーズを重厚にしたという)。 重役の岡田茂は、任侠映画のヒットを「観客は未知の禁断の世界を覗き見したいものだ」と分析し、60年代なかばから独立プロを中心に大量に制作されるようになった「ピンク映画」にも目を向ける。 こうして東映は「セックス映画」の導入に積極的になり、エロ路線「東映ポルノ」が確立していった。<small>(「あかんやつら 東映京都撮影所血風録」p261〜 春日太一 文藝春秋)</small> 本作は、そうした一連の「流れ」が切り替わる、まさに端境期(というか先駆け)に位置しており、前年公開の「くノ一忍法」シリーズ、第3弾に当たる。