荻生徂徠
荻生徂徠【おぎゅう そらい】…柳沢に仕えた儒学者。
討ち入り後、助命論を唱える学者が多い中「切腹のほうが法は曲げないし、彼らも本懐だろう」と唱えた。
「角は立つかもですけど46人は切腹がいいでしょう。だって彼らを生かして野放しにしたら今度は吉良の息子が日本中からちりぢりになった彼らを捜して「又敵(またがたき)」をしようとして、それを見逃せない広島の浅野本家ものりだしたら、コレかなりヤバいです」とアドバイスするドラマもある。
わかいころ、豆腐屋七兵衛さんの差し入れで食いつないで勉強に励み「おから先生」とあだ名された。後年、徂徠出世してからのこと、七兵衛さんが火事で焼けだされたので彼は建て替え資金を工面してやる。七「赤穂浪士もえれえが、先生もえれえや。あっしらのために自腹を切って下さった」(落語「徂徠豆腐」) 彼を題材にした講談もある。
何日の世も
情こそ人の心の鏡と言う
アドバイザーはほかに林大学頭(だいがくのかみ〜林 鳳岡はやし ほうこう〜)。決定的なアドバイザーは公弁法親王(こうべんほうしんのう)by『徳川実紀』。