元禄水滸伝

提供: Kusupedia
2025年11月11日 (火) 23:36時点におけるKusuo (トーク | 投稿記録)による版

移動先: 案内検索
作品概要
制作会社 宝塚映画
公開年度 1952年
内蔵助役 三津田健
評価 2ツ星


戦後初の忠臣蔵(たぶん)。

戦前は「女の子の物語」ばかり5本作っていた(要確認)宝塚映画が、戦後1951年に「日本のハリウッドとして関西の宝塚に名乗りを上げた新しいスタジオ宝塚映画製作所」(「元祿水滸伝」プレスより)を設立。第1回作品として本作を製作した。配給は東宝。宝塚映画っていうと高度成長期は「サザエさん」実写版がおなじみ。(註01)

寺坂吉右衛門毛利小平太小山田庄左衛門という脱盟者ばかり3にんにスポットを当て、オリジナルの物語を彼らに与えている友情物語。

ただ、プレスには「そくそくたる美しくも哀れな悲恋絵巻」としており、映画ポスターも「風と共に去りぬ」ばりに男女の顔が近い。

GHQ検閲の花形?で東宝争議の原因?でもあるデビッド・コンデは「日本映画がラブシーンでキスしないのは不自然だ」とか余計なことを主張してたらしい(「日本映画史」(2)P178佐藤忠男 岩波書店)から、その影響なんじゃないかと思うが、あたしには恋愛映画という印象は薄い。。


作品では登場人物それぞれのイキザマが描かれているが、映画全体を通して訴えかけているのが「生きよう!」という、およそ忠臣蔵に似つかわしくないテーマ。


まず脱盟者を主役に立てた時点で、コレは「生きること」をテーマに掲げている事を意味する。ただ「最後の忠臣蔵」のような"赤穂浪士が生き残ることの皮肉"をおもしろがってるのではなく、あくまで「死なないで生きること」(=命)への賛美がくりかえしうたわれる。

内蔵助さえも討ち入り前日にみんなを集めて「人間として生まれた以上、誰しも満足のために生きたい。私も命を捨てずに済むものなら捨てたくはござらん」などとわざわざみんなのテンションを下げるようなことをメンバーを前にしてキッパリ言う。(“死ではなく生”を選ぶ者たちの反骨のかんじが『水滸伝』っぽい?)

主役の小山田はラストで「強く生きていきます!」とガールフレンドに言うし、寺坂吉右衛門が討ち入りのあとで南部坂に報告に行くと「ちっともかっこいいこっちゃないんだから、ほかで討ち入りを吹聴しなさんなよ。生きろ。」と瑤泉院から釘を刺される。


本来なら、わざわざ忠臣蔵という題材でこんなのって、ナンセンスである。


だが、ここで「ナンセンス」とカンタンに言えないのが、やはり、戦後だという時代背景=ややこしいバック・グラウンドでありまして、この映画がリリースされた1952年といえば、それまでは占領軍が上映禁止していた忠臣蔵モノの規制(復讐の肯定や謹皇な軍国主義に対する規制)が朝鮮戦争の影響で?やわらいだ年である。

とはいえ規制解除ホヤホヤのこの年では、まだGHQの顔色がうかがわないといけない時代だったんじゃないだろうか。(討ち入りの戦闘シーンもまるっきり無いし。)それがこの映画の特別な個性を作ってる気がする。

それとも単純に、少女歌劇的な映画ばかり作ってた会社だからあえて毛色の違う忠臣蔵をやろうとしたのか。そんな検閲の中で、それでも「忠臣蔵を撮りたい」と思う情熱には、目が潤む。


とにかく時代を反映した、プロテストソングっぽい物腰でありました。(加筆:「この作品は"元禄"という世代への批判」であると堂々と「元祿水滸伝」プレスでうたっている。)


撮り方もていねいで好感が持て、屋外ロケ現場がいろいろ広い。

大石主税矢頭右衛門七という美少年二人をそれぞれ寿美花代、南風洋子という宝塚スターが演じている。ヤラレタ。


註01…第4作「サザエさんの婚約旅行」('58)から宝塚映画が製作しているが(それまで東宝)、2025年11月現在、Wikipediaにはその「婚約旅行」が「初の宝塚映画製作作品である」と、おっしゃっている。この「元禄水滸伝」はどうしてくれるのだろう(初の宝塚シネマスコープ製作だと言うならそれはそうかも知れない←要確認)。