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もりいくすお

747 バイト追加, 2024年10月30日 (水) 15:26
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 物心ついた時からすでに絵を描くのが好きだったくすおは、幼稚園([[おニャン子版忠臣蔵|「夕ニャン」]]で'''[[浮橋太夫]]'''をやった工藤静香が編入&中退し、'''[[ホリ|堀部安兵衛の妻・ホリ]]'''を演じた[https://www.kusuya.net/%E3%83%9B%E3%83%AA#/media/File:Fukatsu_hori.jpg 深津絵里]が卒業した、日本音楽高等学校の付属幼稚園)の頃から「モーレツア太郎」や「帰ってきたウルトラマン」を描いておともだちに喜ばれては、得意になっていた。
 小学校に上がるや、担任による「給食を全部食べなければ帰宅を許さない」という所謂「完食教育」の体罰が効いて、会食恐怖症となり、元来、ひとりっ子で独占欲が強く、食い意地が張ってるはずのもりいには、この症状は卒業するまで給食が苦痛でしかなかった(香りや味が良い思い出として残っていてもである)。
 '''「[[怪獣総進撃]]」'''や「ゴジラ対メカゴジラ」をノートにコミカライズしたり、クラスメイトを登場させる巨大ヒーロー物や野球漫画を描いては回し読みしてもらってたが、人気に図に乗ってたらいつの間にかクラス全員から無視される羽目になり、猛省する。
 あまりにも勉強をしないため、母親がくすおをお祓い(東十条あたりの寺だったかな?)に連れて行ったこともあったが、もちろん改善されず、たまに頑張るとテストの成績は良かったので、授業がキライなだけでさほどのバカでもなさそうだと自覚していた。 あまりにも勉強をしないため、母親がくすおをお祓い(東十条あたりの寺だったかな?)に連れて行ったこともあったが、もちろん改善されず、たまに頑張るとテストの成績は良かったので、勉強以外に楽しいことが多すぎてモチベーションが上がらないだけなんだなと自覚していた。
 日露戦争で活躍された乃木希典大将のお父さんは、現在のもりいの作業場から5分ほど行った'''長府藩毛利家'''に仕えていた藩士で、大将は藩邸内の長屋出身だそうだが、現在「六本木ヒルズ毛利庭園」のここは、'''赤穂義士終焉の地'''でもある。乃木大将は赤穂義士ファンであったので、毎月命日には息子さんの手を引いて泉岳寺にお参りに行ったというが、その息子さんたちも、もりいの高校の先輩である。
 このころ、雑誌「ぴあ」に毎号似顔絵パロディイラストを読者投稿して掲載してもらうなどしていたが、高2のある日、縁あって「仮面ライダー」や「'''マンガ日本の歴史・忠臣蔵と生類憐み'''」で有名な石ノ森章太郎先生にマンガを見てもらい、とりあえず悪く言われなかったことですっかりその気になり、絵描きの道を目指す。お礼に出かけた場所が国立演芸場の楽屋だったことも手伝ってか、ソワソワするもりいの様子を見たその時の先生のアドバイスは「きみは噺家をめざしたほうがいいんじゃないか?」だった。   石ノ森先生との出会いで、絵で食べていこうと活路を見出し、東横線菊名の美大予備校に通い始める。
 自分の絵心に対する、周囲の褒めそやしが影響してか「どうにかなるだろう」と、たかをくくって、学業パフォーマンスを上げる努力を一切しなかったので、学科試験の多い美大受験は諦め(それでもタマビは受験したがムサビは願書を出し忘れた)、予備校の講師のすすめもあって、ハナから都心にあって通いやすい桑沢デザイン研究所(後述)に狙いを定めてデッサンや色彩構成の受験勉強に専念をした。
 高校卒業後は、渋谷の専門学校桑沢デザイン研究所(先輩に'''[[田村右京大夫|田村]]'''邸跡で切腹最中を売る新正堂さん社長夫婦)でグラフィックデザインを学ぶ。課題の多さにヘトヘトになり押しつぶされそうになると、浅草東宝に「クレージーキャッツ特集」をオールナイトで見に行っては正気をたもった。
 卒業してすぐクレイアーティスト、スーパーマーケットマニア、IKEA博士の[https://note.com/yukamorii/ 森井ユカ]との共同生活を浅草で始める。
 結婚にあたって人並みに、式と披露宴をしたが、場所は吉良邸の茶会の日をリークした 新生活にあたって人並みに、結婚式と披露宴をしたが、場所は吉良邸の茶会の日をリークした'''[[羽倉斎]]ゆかりの地、神田明神'''であった。
 浅草は'''[[前原伊助]]、[[倉橋伝助]]、[[勝田新左衛門]]、[[不破数右衛門]]、[[武林唯七]]、[[杉野十平次]]らが同盟の誓約を交わした'''場所で、'''義臣伝読切講釈「忠臣連理の鉢植~植木屋」'''の舞台で、仮名手本忠臣蔵などが公演される'''[[中村勘三郎|中村座]]'''がやってくる有名な東京の下町である。