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{{Cinema|制作=宝塚映画|公開=1952|内蔵助=三津田健|星=2|頃=}}[[画像:genroku_sui_pos.jpg|thumb|公開当時のポスター]]
戦後初の忠臣蔵(たぶん)。
[[寺坂吉右衛門]]、[[毛利小平太]]、[[小山田庄左衛門]]という脱盟者ばかり3にんにスポットを当て、オリジナルの物語を彼らに与えている友情物語。
ただ、プレスには「そくそくたる美しくも哀れな悲恋絵巻」としており、映画ポスターも「風と共に去りぬ」ばりに男女の顔が近い。
内蔵助さえも討ち入り前日にみんなを集めて「人間として生まれた以上、誰しも満足のために生きたい。私も命を捨てずに済むものなら捨てたくはござらん」などとわざわざみんなのテンションを下げるようなことをメンバーを前にしてキッパリ言う。(“死ではなく生”を選ぶ者たちの反骨のかんじが『水滸伝』っぽい?)
だが、ここで「ナンセンス」とカンタンに言えないのが、やはり、戦後だという時代背景=ややこしいバック・グラウンドでありまして、この映画がリリースされた1952年といえば、それまでは占領軍が上映禁止していた忠臣蔵モノの規制(復讐の肯定や謹皇な軍国主義に対する規制)が朝鮮戦争の影響で?やわらいだ年である。やわらいだ年ではなかったか。 とはいえ規制解除ホヤホヤのこの年では、まだGHQの顔色がうかがわないといけない時代だったようにも思う。(そう急展開で羽も広げられないんじゃないかと。'''討ち入りの戦闘シーンもまるっきり無い'''し。)それがこの映画の特別な個性を作ってる気がする。
[[大石主税]]と[[矢頭右衛門七]]という美少年二人をそれぞれ寿美花代、南風洋子という宝塚スターが演じている。ヤラレタ。
製作:郷田悳/脚本:犬塚稔/監督:犬塚稔
<附言>
当時のGHQの検閲はきびしく、おそれられていた。
この映画公開の数カ月後に占領軍は日本を去るが、本作は会社立ち上げて一作目だし、制作発表の段階ではまだGHQの影響下にある時期。さぞかし、ことを慎重に構えて進めていただろうと想像できる。
なにせ、検閲に引っかかれば最悪、ネガやプリントが没収されたり焼却されたりするので、映画人の中にはフィルムをこっそり隠したりしたヒトもいたという。
また、バレれば死刑。軽くて沖縄で強制労働…というウワサさえあったとか。(実はCIE自体には権限はなかったが、指導されて実働していた日本政府に過剰な面もあったようだ。)
先述のデビッド・コンデは、接待でおべっかをつかわないと吉良上野介ばりの意地悪をしたとか。(彼は1947年に任を解かれて日本を去っている)<small>(「偽りの民主主義〜GHQ・映画・歌舞伎の戦後秘史〜」浜野保樹 角川書店)</small>
註釈01…戦前に前身の宝塚映画があるが、これは宝塚歌劇団の付帯事業だったとWikipediaにある。『瞼の戦場(40)』『南十字星 (41)』など何本か作っていた。<small>(日本映画データベース)</small>