差分

忠魂義烈 実録忠臣蔵

146 バイト追加, 土曜日 16:03
編集の要約なし
さて、すごく特徴的なバック・グラウンドがございます。
この映画、当時としては破格の制作費で「未曾有の超大作」だったらしいんですが、編集中にマキノ省三監督の自宅から昭和3年3月6日午後6時15分に出火したとかでこの映画、当時としては破格の制作費で「未曾有の超大作」だったらしいんですが、編集中に牧野省三監督の自宅から昭和3年3月6日午後6時15分に出火したとかで'''フィルムの大部分を消失'''させちゃったそうです。結局残存ネガを編集して公開されたらしいんですな。火事を出すなよ〜!
現在上映会やDVDで観られるのは、監督の息子・マキノ雅弘監督が追加撮影した「間者」という映画(同キャストで追加撮影された作品)をところどころ挿入してつないでるもの。現在上映会やDVDで観られるのは、監督の息子・マキノ雅弘監督が追加撮影した「間者」という映画(←「実録」が焼けたので、急きょ同キャストで"義士外伝"として追加撮影された作品。アラカンや千恵蔵も協力した。)をところどころ挿入してつないでるもの。
この火事にはちょっとした伝説がある。
監督は内蔵助役の伊井蓉峰という人ともめてたらしいが(伊井蓉峰:いいようほう…という芸名の語源は「良い容貌」から来てるとか。「新派劇の大統領」とあだ名され、当時にしては珍しく自家用車も持ってた成功者)この人とにかく監督の言うことを聞かなかったそうで、自己判断でものすごくクサいオーバーアクションで違和感を丸出し。監督は頭を抱えてしまい、当時の新聞には「神経衰弱」とも報道された。監督は内蔵助役の伊井蓉峰という人ともめてたらしいが(伊井蓉峰:いいようほう…という芸名の語源は「良い容貌」から来てるとか。「新派劇の大統領」とあだ名され、当時にしては珍しく自家用車も持ってた成功者)この人、とにかく監督の言うことを聞かなかったそうで、自己判断でものすごくクサいオーバーアクションで違和感を丸出し。監督は頭を抱えてしまい、当時の新聞には「神経衰弱」とも報道された。<small>(註01)</small>
もしかしたら監督は編集中に「これじゃまとまらねえや!」とブチ切れて、わざとフィルムを燃やしたのかも、と息子・マキノ雅弘は考えているようです。<small>(「あゝ、にっぽん活動大写真」TBS/畠剛 著「松田定次の東映時代劇」)註02(「あゝ、にっぽん活動大写真」TBS 1978年/畠剛 著「松田定次の東映時代劇」ワイズ出版)(註02)</small>