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現代にも一部が残る堤防を作ったことと、農耕用の駄馬にまたがって現場を視察したと伝えられる親近感が、名君の根拠となっている(要確認)が、そのあたりがうまく構成されているのが、稲田和浩先生作の浪曲「赤馬の殿様」である。東家孝太郎師匠の持ちネタ。
「吉良は名君だった」という説には、これを裏付ける同時代史料はあまり見当たらないそうです(要確認。あたしもご当地のテレビの街頭インタビューレベルでしか聞いたことがない)。
代々、朝幕の間で儀式典礼一切を司る高家旗本の専門家が、ほとんど帰ったことのない領地で現場監督の辣腕を振るうというのは、少し考えにくい。
これは近代以降に広まった再評価の一種で、地元出身の作家・尾崎士郎先生の作品などの影響も指摘されている。
でも、あまりにも長いあいだ「悪役」を背負わされた人物像を修正しようという気分が生まれることは、否定しないし、供養になると思います。