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浅野内匠頭
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[[画像:Raizo_takumi.jpg|thumb|役者絵:市川雷蔵]]
[[画像:asano1.jpg|thumb|役者絵:大川橋蔵]]
[[画像:asano2.jpg|thumb|役者絵:東山紀之]]
[[画像:Tamura-cyo-tono.jpg|thumb|新橋・日比谷通り添いの碑]]
浅野内匠頭【あさの たくみのかみ(長矩ながのり)】
なにもかも、この人が江戸城の大イベント中に廊下で上司を斬りつけたのがきっかけ。どうしてそんな奇行に走ったかは300年経った今も謎。
上司、[[吉良上野介|吉良]]のパワハラが原因であるというのが定説。この人の親戚も過去にどっかで同じような事件を起こしている。のパワハラが原因であるというのが定説。 大名の起こすこうした「喧嘩」はほかにも例があるそうで、内匠頭の親戚も過去にどっかで同じような事件を起こしている。ただ家来が討ち入りたくなるような片落ちの裁定はめずらしいようで。 5万3千石。塩田も入れると7万とも8万石ともいわれなにげ裕福だが、忠臣蔵物語の中では、おなじイベント接待部の[[伊達左京亮|伊達君]]より領地が広いのに進物はショボかった。「おべっかつかうのはきらいじゃ」というこの無作法が吉良の逆鱗に触れる。 刃傷事件前はたいがいのドラマで部下が浅野に「何事もご忍耐第一に!」と心配してくれている。 (実際は地元の水道工事や京都御所 紫宸殿の建て直しにたいへん散在して、裕福どころか天守も建てられないほど嚢中はさみしかったとか。足袋もツギのあたった倹約家。) 当時の勤務評価に「短慮」と記されていたり、感情が高ぶると胸が苦しくなる「痞(つかえ)」という病気持ちだったとも伝えられるところから、ドラマでもすぐおなかが痛くなったりつむじがいたくなったりしてる演出が見られる。 「突く」ための脇差しで斬りつけたり、理由も言わず「遺恨」を再三くちにしてることから、被害妄想を伴う精神病説も言われているらしく、「[[時代劇特別企画 忠臣蔵|たけし版]]」ではそこに言及し、ジェームス三木は「[[忠臣蔵 瑤泉院の陰謀|瑤泉院の陰謀]]」では大胆にも、内匠頭をはっきりと'''トリッキーなキャラ'''として描いている。 ドラマなどで大げさにクローズアップされることが少ないが、そもそも戦国時代は豊臣秀吉と縁続きな上、ブレーンの筆頭だったたけだけしい家柄で、「辱められるならやっちまえ」という山鹿素行先生の教え(要確認)も助けて「喧嘩上等」の姿勢なのではなかったかとも推測される。 遺書らしきものには「言っといたらよかったんだけど、言わないでおきます。さぞ不審でしょうね」という言葉を残して死んでいっちゃって、これまた謎。 「[[峠の群像]]」では、自分の愚行ははっきりしてることだから罰は受ける。そこにいちいち「だって○○なんだもん」などとつべこべ言わないことが潔しという演出が、[[不破数右衛門]]が家僕を切り捨ておいて理由をかたくなに話さないエピソードとともになされている。 辞世「風さそふ 花よりもなほ 我はまた 春の名残を いかにとやせん」(いまいち意味不明)もこの句を伝えた[[多門伝八郎]]の創作とも言われフィクション説が濃厚とか。 とにかく謎のすべては、お上がくわしく取り調べをしないで「'''すぐに切腹!'''」と裁決したお手軽さが原因。 内匠頭は一代で江戸城警備、消防隊(<市民に好評の仕事ぶりだった)、普請の手伝い、任期中に二回の饗応役(かなりレアとか?)など、幕府からいっぱい御用を言いつけられており、なかなか大変だったとお見受けいたします。 カネのかかる用事をさんざん言いつけられたのも、豊臣系の浅野家をこころよく思ってない徳川幕府(<小藩取り潰しにも躍起)のいじわると考えられる?(でも秀吉死後は家康と仲良しだったそうだが…)
==関連項目==
* [[元禄赤穂事件]]
* [[阿久里/瑤泉院]](奥さん)
* [[浅野大学]](弟)
* [[桃井若狭助武林唯七]](吉良に対して同じような立場)(乳兄弟)
* [[伊達左京亮]](同僚)
* [[徳川綱吉]](将軍)(切腹を申しつけた将軍)
* [[吉良上野介]](嫌みな上司)
* [[桃井若狭助]](吉良に対して同じような立場)
* [[亀井隠岐守]](吉良に対して同じような立場)
* [[多門伝八郎]](かばってくれた幕府目付)
* [[田村右京大夫]](切腹場の家主)
* [[戸田采女正]](従兄弟)
* [[大石内蔵助]](仇を取ってくれた部下)
* [[松平安芸守]](ご本家筋)