10,732
回編集
差分
イヌの仇討
,編集の要約なし
{{Cinema|制作=こまつ座|公開=1988|内蔵助=---|星=3|頃=}}
[[画像:Inunoadauchi.jpg|thumb|公開当時のチラシ公開(再演)当時のチラシ]]
このオハナシは、観客にとって(あるいは世間の風潮が)四十七士の討ち入りが「義士の義挙」であると当たり前に思ってる前提があるからこそなりたつのだが、こんにちにあっては忠臣蔵離れがヒドいのと、知ってる人は知ってる人で吉良に対して同情的になってきていることから2017年は向いてなかったのかもなどと思った。
かと言って現代風にアレンジしたりせず初演当時と同じ内容(<要確認。ちなみに'88年版の[[狆]]はラジコンじかけだったとか。本作では手踊り人形)のものをみられたのは嬉しかったが、上記のような感覚は残った。はラジコンじかけだったとか。本作では手踊り人形)のものを観られたのは嬉しかったが、上記のような感覚は残った。
で、「赤穂義士のおこないは正義なのか?」という疑問を投げかけるために吉良視点で松の大廊下からXデーにいたるまでを台詞でおさらいして赤穂藩の有り様や幕府、町民などの矛盾点などを突いていって痛快なはずなのだが、そこに説得力を持たせるために吉良上野介を完全に「善人」に仕立て上げてしまったことがいささか鼻についた。(同時に四十七士を少し落としている。)
きれいごとすぎるのは「赤穂義士伝」の常套手段だから逆をやったと思えばまあ、胃の腑に落ちまする。
== オペラ イヌの仇討 あるいは吉良の決断 ==
{{Cinema|制作=オペラシアターこんにゃく座|公開=2002|内蔵助=---|星=5|頃=}}
[[画像:Inuno_opera.jpg|thumb|公開(再演)当時のチラシ]]
ブラボー!こうふん!
まさか吉良モノでこんなにポロポロ泣くとは思わなかった。
それも、一回芝居で観て知ってる出し物なのにオペラになったら自分の中のモードが変わった。
もっとも、オペラ化するにあたって原作・井上ひさし先生のセリフはテキスト・レジー(改変)されており(そりゃそうだ。ふつうの芝居のセリフをオペラや義太夫の長さにしたらいつまで劇場に籠城してなきゃいけないかわからない)、それが音楽劇という特有の表現の中で生まれ変わり、同じようで違う作品なのであります。
もぉ〜、バルコニー席という見たこともないアングルから舞台を見下ろしてたのも高まった(演出はあくまで正面から見た効果を念頭にしているけど)。音はピアノとバイオリンの生演奏。
セリフをおぼえる上に曲もおぼえて、それでいて聴かせる歌唱力でなくちゃいけないという、演者さんに国はなにかしら補助をすべきスキルであります。
オリジナルでは、井上先生の言葉術で織り成すコミカルでいてシリアスな問題提起みたいな内容だったのが、オペラで見た印象だと吉良を守ろうとする周囲の人間たち(近習、女中、行火たち)の忠義がストレートに感動につながる。
誤解を承知で言わせてもらうと、井上ひさし先生の劇の泥臭さより、'''オペラというハイソな雰囲気が高家筆頭たる吉良上野介にピッタリ合っている'''気がいたします。(そして「悲劇」というたたずまいもオペラ向きなのかも。)
2002年に初演だったらしく16年ぶりの再演を観賞。
この作品の存在は間違いなく、吉良上野介の供養になることでしょう。