「此村大吉」もの

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講談本・旗本五人男

落語の「中村仲蔵」、講談の「此村大吉(このむら・だいきち)登場の場」は、しばしば映画化されております。

中村仲蔵は偶然出会ったおサムライの容姿をヒントに仮名手本忠臣蔵五段目の斧定九郎像を開発した人。此村大吉はそのモデルとなったとされるおサムライ。

此村大吉のハナシは全11席(本によっては38席)ある「旗本五人男」の一部。「此村大吉」名義の映画も戦前戦後に3本作られている人気キャラ。

ちなみに林家正蔵(8th)や古今亭志ん朝のやる「中村仲蔵」に出てくるおサムライはミムラシンジロウという名です。

実在の仲蔵のエピソードについては「斧定九郎」の項目をご参照願います。


朱鞘罷り通る(東映 1956)

朱鞘(しゅざや=赤い鞘)っていうから堀部安兵衛の話かと思ったら、講談の「中村仲蔵」のハナシでした。

中村仲蔵を大川橋蔵。彼のヒントになる浪人を市川歌右衛門(北大路欣也のお父さん)。


主人公は仲蔵ではなく、「俺は自由になりたいんだ」がくちぐせの旗本の浪人・此村大吉。

彼が、殺されそうな友達のために雨の中助っ人に走ってる様を仲蔵に目撃され、翌日自分とそっくりな姿が芝居にかかって大評判になるが、河原ものに武士の面目をつぶされてたまるかと、知的所有権を巡って争いになりかける。

が、仲蔵が知り合いのお兄さんだったので、和解。

大吉は殺された友達の仇を取って恋人と旅に出る。そんなストーリー。


講談の「中村仲蔵」がそういうハナシなのか、歌右衛門の方をフィーチャーしたチャンバラ映画で、「クリエーターの産みの苦しみ」というテーマが面白い落語版「中村仲蔵」とはだいぶ違う「友情物語」になっております。

開発を終えた定九郎像の初登場シーンはそれなりな盛り上がりにはなってるがいかんせんサラッと流されており、なんとももったいない。

今だったら、もっと丁寧にねえ、登場人物の心理描写に時間をかけるんでしょうけど…

開発前夜の定九郎像が見られるのかなと期待したが、そういうのはチラッと写る役者絵でしか見ることができず、劇中劇の歌舞伎も昭和の演出の定九郎になっております(映像化されているのは定九郎の登場シーンのみ)。

そもそも芝居小屋のセットや満員のお客さんは凝っているが、肝心な歌舞伎役者は中村仲蔵以外、勘平与市兵衛もイノシシも出てこない。

こういうアレンジ、当時じゃあ仕方がないか。無難な娯楽映画であります。白黒。


DMM.com動画で378円で見られます。



あばれ駕籠(東映 1960)

中村仲蔵の東千代之助が義賊・稲葉小僧と二役でにぎやかすバラエティ作品。

人気を鼻にかけて団十郎から芝居小屋を出禁になり落ちぶれていく仲蔵の惚れた女は、稲葉小僧が忍び込んだ屋敷で出会って以来逢瀬を重ねている(ことは、仲蔵は知らない)お梶。

仲蔵と稲葉小僧はひょんなことから知り合うが、仲蔵のお梶への想いと自分たちの出生の秘密を知った稲葉小僧は中村仲蔵の幸せのために団十郎に仲蔵の帰参を願い出てから仲蔵復帰初日に大立ち回りの挙句お縄になる。

モデルになる浪人・此村大吉(若山富三郎)は物語中盤で、やっと登場するが、定九郎開発はもっと後半エンディング近くの、仲蔵が芝居に復帰する条件として出された弁当幕の工夫に迷ってる雨の夜。仲蔵ファンの大吉と再会するがびしょ濡れの様子を見て「で、出来た!」。大吉は2シーンのみの登場。

初演なのにいまお馴染みの「白い手」の演出になっているのがご愛敬。そもそも本作においては芝居(踊り)のシーンは仮名手本よりも前半に出てくる狂乱雲井袖(仲蔵狂乱)がすごくたっぷりしている。白黒


五人のあばれ者(東映 1963)

4人の居候とともに賭場を経営する悪者侍集団「鬼神組」と闘う此村大吉(片岡千恵蔵)のものがたり。

高田浩吉演じる中村仲蔵の定九郎開発は映画の前半10分ほどの中に収まり、あとは大吉と鬼神組の命のやりとりがメインとなる。(つまり忠臣蔵とはほとんど関係がない映画)

「朱鞘…」とは違い、自分がモデルとなった「定九郎」像に大吉はいたって好意的であり、ロイヤリティもちゃんともらっている。

大吉の仲間の居候4人のキャストは山形勲と里見浩太朗はともかく、大坂四郎と千秋実が東映の画面に乗っかってるのが珍しかった。カラー