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もりいくすお

サイズ変更なし, 2009年3月27日 (金) 02:08
編集の要約なし
友人に助けられながら、クライアントに謝りながら、それなりにイラストレーター生活を続け、たまに広川太一郎さんのモノマネ('''[[間十次郎]]'''の子孫の声優・羽佐間道夫さんおすみつき)で関根勤氏主宰のカンコンキンシアターのナレーションもお手伝いしつつ、台東区では10年以上営業を続けた。
デビュー当初は絵の具を使ったリアル絵を看板として、タカラトミーのプレステゲーム「ラーメン橋」のキャラデザインなどし、その後パソコン時代到来と共にコラージュマンガ(漫画と写真を合成したフュメッティ)でフェチ漫画を意気揚々と制作(あちゃら「フェチャイライトゾーン」)。当時の地上波で放送中だった「トゥナイト2」「タモリ倶楽部」などでフェチコメンテーターとしてしばしば電波にも乗った。デビュー当初は絵の具を使ったリアル絵を看板として、雑誌や広告にイラストを提供し、タカラトミーのプレステゲーム「ラーメン橋」のキャラデザインなどもした。 その後パソコン時代到来と共にコラージュマンガ(漫画と写真を合成したフュメッティ)でフェチ漫画を意気揚々と制作(あちゃら「フェチャイライトゾーン」)。当時の地上波で放送中だった「トゥナイト2」「タモリ倶楽部」などでフェチコメンテーターとしてしばしば本人が電波にも乗った。
その後はルポ漫画を得意とした家としてほうぼう出かけて作品にすることが多かった。(リクルートガテン「おしごと見聞録」/日刊ゲンダイ「見てきたマンマ」/三才ブックス裏ッ!「ピンポンダッシュ」/講談社モーニング「モーニング探検隊」など)
そして運命の2007年末、北王子欣也の「[[忠臣蔵]]」のCS放送を見ながらいつも混乱する「忠臣蔵」の登場人物のメモをつけていたら、'''遂にハマってしまった'''。
忠臣蔵のおかげでいつでも絵と向き合い、それが楽しくて、そして日頃のウォーミングアップになってるおかげで仕事へのシフトも軽やかになり、気が進まない仕事が激減した。雑誌やテレビの似顔絵の仕事が多かったので、練習もかねて登場人物の役者絵を仕事の合間に描いていたら仕事中もオフも絵と向き合うこととなり、それが楽しいウォーミングアップになった。おかげでいつ仕事へのシフトしても筆が軽やかになり、気が進まない仕事が激減した。
そして突然熱くなった忠臣蔵への思いから1年弱。遂に2008年、本サイト公開に至る。そして突然熱くなった忠臣蔵への思いから1年弱。遂に2008年、たまったメモと役者絵を素材にして本サイト公開に至る。
ホームページの名前、くすやは討ち入りの前に四十七士が集まった[[蕎麦屋|そば屋]]の名前にちなんでつけました。自分の名前に似てたので。

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