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もりいくすお

122 バイト追加, 2010年1月7日 (木) 05:11
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中学時代は落語にはまり、その中の1本、「'''[[中村仲蔵]]'''」を聴きながら、創作の魅力をあれこれ想像し、おはなしに出てくる'''[[斧定九郎|定九郎]]'''ってどんなんだろうと思いをはせた。この頃を境に両親を「おとっつぁん」「おっかさん」と呼ぶようになる。
アメリカの風刺雑誌MADと巡り会い、モート・ドラッカーの作風に憧れる。学園祭で16ミリフィルムでアニメを撮影した。アメリカの風刺雑誌MADと巡り会い、モート・ドラッカーの作風に憧れる。学園祭では16ミリフィルムでアニメ撮影などした。
その後パソコン時代到来と共にコラージュマンガ(漫画と写真を合成したフュメッティ)でフェチ漫画を意気揚々と制作(あちゃら「フェチャイライトゾーン」)。当時の地上波で放送中だった「トゥナイト2」「タモリ倶楽部」などでフェチコメンテーターとしてしばしば本人が電波にも乗った。
その後、ルポ漫画を得意とした家としてほうぼう出かけて作品にすることが多くなり。(リクルートガテン「おしごと見聞録」/日刊ゲンダイ「見てきたマンマ」/三才ブックス裏ッ!「ピンポンダッシュ」/講談社モーニング「モーニング探検隊」など)その後、ルポ漫画を得意とした作家としてほうぼう出かけてはそれをマンガにすることが多くなる。(リクルートガテン「おしごと見聞録」/日刊ゲンダイ「見てきたマンマ」/三才ブックス裏ッ!「ピンポンダッシュ」/講談社モーニング「モーニング探検隊」など)
そのまたあとは、テレビに似顔絵を納品するようになる。そのまたあとは、テレビに似顔絵を納品するようになる(フジ「IQサプリ」「とんねるずのみなさんのおかげでした」など)。
絵柄が多様なのでつぶしが利くという言い方も出来るが、「もりいのタッチ」というものが定まってないとも言える。
「これが自分の絵なんだ」という自覚を持てたのは、2008年オープンの忠臣蔵WEBにおける役者絵と、アニメによってである。「これが自分の絵なんだ」という自覚を持てたのは、2008年オープンの本・忠臣蔵WEBにおける役者絵と、アニメによってである。

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