「ショウ マスト ゴー オン 幕をおろすな」の版間の差分

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オリジナル(舞台版)のストーリーは、寿命が危ない老役者の舞台をサポートすべく、裏方や共演者がてんやわんやする話で、付け焼き刃な対策が作家の意図しない方向へどんどんと作品を変えていく(三谷幸喜のお家芸ですね)。劇場版とテレビ版のいいとこ取りが「ラヂオの時間」。「手は、ある!」というセリフが踏襲されている。
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オリジナル(舞台版)のストーリーは、寿命が危ない老役者の舞台をサポートすべく、裏方や共演者がてんやわんやする話で、付け焼き刃な対策が作家の意図しない方向へどんどんと作品を変えていく(三谷幸喜のお家芸ですね)。劇場版とテレビ版のいいとこ取りが「ラヂオの時間」と言えるのではないでしょうか。「手は、ある!」というセリフが踏襲されている。
  
 
勝手に作品を変えられた作家が「どうして言ってくれないのかなー。言ってくれたら、ボク、自分で直したのになーっ」と悲痛に(そして滑稽に)叫ぶシーンがあるのですが、他人事とは思えませんでした。なにせテレビのオンエアを見たらCG屋さんが黙ってあたしの絵を描き変えてたなんてことが日常なので(^∇^; )。
 
勝手に作品を変えられた作家が「どうして言ってくれないのかなー。言ってくれたら、ボク、自分で直したのになーっ」と悲痛に(そして滑稽に)叫ぶシーンがあるのですが、他人事とは思えませんでした。なにせテレビのオンエアを見たらCG屋さんが黙ってあたしの絵を描き変えてたなんてことが日常なので(^∇^; )。

2008年10月19日 (日) 14:36時点における版

三谷幸喜、作、演出の喜劇。

初演が1991年のシモキタ本多劇場で、忠臣蔵が関連するのは翌年のテレビ版。深夜にフジテレビで放送されたそうです。その録画を見せていただきました。


オリジナル(舞台版)のストーリーは、寿命が危ない老役者の舞台をサポートすべく、裏方や共演者がてんやわんやする話で、付け焼き刃な対策が作家の意図しない方向へどんどんと作品を変えていく(三谷幸喜のお家芸ですね)。劇場版とテレビ版のいいとこ取りが「ラヂオの時間」と言えるのではないでしょうか。「手は、ある!」というセリフが踏襲されている。

勝手に作品を変えられた作家が「どうして言ってくれないのかなー。言ってくれたら、ボク、自分で直したのになーっ」と悲痛に(そして滑稽に)叫ぶシーンがあるのですが、他人事とは思えませんでした。なにせテレビのオンエアを見たらCG屋さんが黙ってあたしの絵を描き変えてたなんてことが日常なので(^∇^; )。

舞台版は1994年の紀伊國屋ホールのをニコ動で見たが、10年以上前のビミョーな時代背景の作品なのにすごく笑える。


さて、テレビ版のおはなしは劇中劇の「マクベス」をお茶の間向きに「忠臣蔵」に変えており、そのことがとりもなおさず、本コーナーで作品を取り上げようと思ったキッカケでもありますが、劇場版ではメインである「老役者をバックアップする」というプロットは無くなって、純粋に舞台裏で起こるアクシデントだけに的を絞って簡単なかんじに構成されてます。それでもてんやわんやのストーリーはおもしろいのだが、このドラマの監督さんがあんまりテンポよくなくて、舞台版を見ると「ああ、三谷幸喜ってもうこの頃ですでに完成してるんだなあ」と感心ちゃうのに、テレビ版を見ると「ああ、三谷幸喜って若いころはまだこんな感じだったんだあ」と、感想がかなり変わっちゃう。


さて、肝心な劇中劇の忠臣蔵ですが、「ブラボー忠臣蔵」というアバンギャルドなものにアレンジされてる設定なので、それがツッコミどころの免罪符になっており、もう自由でいいわけでして、忠臣蔵であって無いような感じになっておりました。この本を書くに当たって、三谷幸喜はあらためて忠臣蔵を研究するようなことはしてないんじゃないかと思います。

取り上げてくれたことがまずうれしいのでなんでもアリですわい。