ショウ マスト ゴー オン 幕をおろすな

提供: Kusupedia
移動先: 案内検索

三谷幸喜、作、演出の喜劇。

 初演は1991年の本多劇場(下北沢)。その翌年にフジテレビで放送されたテレビ版で忠臣蔵が関連する。


 オリジナル(舞台版)のストーリーは、寿命が危ない老役者の舞台をサポートすべく、裏方や共演者がてんやわんやする話で、付け焼き刃な対策が作家の意図しない方向へどんどんと作品を変えていく。劇場版とテレビ版のいいとこ取りが三谷幸喜初映画監督作品の「ラヂオの時間」と言えるかもしれない。「手は、ある!」というセリフも踏襲されている。

 勝手に作品を変えられた作家が「どうして言ってくれないのかなー。言ってくれたら、ボク、自分で直したのになーっ」と悲痛に(そして滑稽に)叫ぶシーンが他人事とは思えませんでした。(註01)


 舞台版は1994年の紀伊國屋ホールのを中継番組で見たが、喜劇暗黒時代のビミョーな時代背景(全般的に、この頃の和製コメディの多くはわざとらしいばっかりでホントにおもしろくない)なのにすごく笑える。


 テレビ版は劇中劇の「マクベス」を、お茶の間向きに「忠臣蔵」に変えており、そのことがとりもなおさず、本コーナーで作品を取り上げようと思ったキッカケでもありますが、メインである「老役者をバックアップする」というプロットは無くなって、純粋に舞台裏で起こるアクシデントだけに的を絞って簡潔に整理して構成しなおされてます。

 それでもてんやわんやのストーリーはおもしろいのですが、編集なのか演出なのか誰のせいなのか、喜劇の映像としてはあまり出来が良くない。「笑い」に必要な呼吸が編集によってカタチになっていないのだ。用意されたギャグシークエンスは秀逸なのに、うまくつなぎ合わされておらず、あと数フレーム早くカットしてれば笑えるのに、みたいなじれったさが常につきまとう。

 また登場人物の個性も変わってしまっており、たとえば西村雅彦が演じる舞監は、オリジナルもTV版も極めて無愛想なのだが、彼のバックグラウンドが示されるぶん、舞台のほうは笑える。が、テレビ版だと、「ただの怖い人」になっててもったいない。

 このころの三谷幸喜がテレビ用の脚本に慣れてなかったのか、テレビスタッフの腕前の問題なのか、時代なのかすごくしろうと臭い(好感は持てるけど)出来なのであります。

 あと、「ここはイイ女がキャスティングされるべきだろう」というポジションでびっくりするほど適役が不足している。(もりい個人の感想です。このドラマは当時の東京サンシャインボーイズの劇団員で出演者が構成されているようなので、これはいろいろ限界があったのかなと…)。


 舞台版を見ると「ああ、三谷幸喜ってもうこの頃ですでに完成してるんだなあ」と感心するのに、テレビ版を見ると「ああ、三谷幸喜って若いころはまだこんな感じだったんだあ」と、感想がかなり変わってしまう。


 さて、肝心な劇中劇の忠臣蔵ですが、「ブラボー忠臣蔵」というアバンギャルドなものにアレンジされてる設定なので、それがツッコミどころの免罪符になっており、もう自由でいいわけでして、忠臣蔵であって無いような感じになっておりました。この本を書くに当たって、三谷幸喜はあらためて忠臣蔵を研究するようなことはしてないんじゃないかと思います。(註02)

 ンま、それでもあえて突っ込むなら吉良のセリフにある「わしにはお上がついている!」コレは「お上」より「上杉十五万(or三十万)石」のほうがイイかもですね。お上からは見放されたことで有名なので。(どっちでもいいや)

 江戸の一大事の手紙を受け取った内蔵助が「殿が亡くなられた!お家断絶の再興の望みも断たれた今、赤穂の塩は粗塩となって瀬戸内の海に流れて行くわいなあ」ってセリフはあまりにもめちゃくちゃで、これは逆に爆笑しました(笑)。(註03)


 ともかく三谷幸喜が忠臣蔵を取り上げてくれたことがまずうれしいのでなんでもアリ。





註01…イラストレーターのもりいには、納品した作品が、テレビのオンエアを見たらCG屋さんが断りもなしに、絵を描き変えてた…なんてことが日常茶飯事。ちなみに「ラヂオの時間」はテレビのヒットドラマ「振り返れば奴がいる」で自分のシナリオを現場で変えられていくショックから作った1993年の演劇がそもそもだというから、この頃は常に「そのような」フラストレーションにさらされていたのかもしれない。


註02…三谷先生は「忠臣蔵」好きなんだろうな的なアレコレ。↓

日本史好きなことは公言していらっしゃるが、赤穂事件に関しては少し、ヒイキしてくれてる気がする、そんなアレコレがある…。

1994年の刑事ドラマ「古畑任三郎」の犯人(クイズ王)は、衣装部屋で四十七士の衣裳を、ご丁寧にあいうえお順に並び替えて整頓したことが、足がつくキーのひとつになっている。注目すべきは、その衣装を扱うお針子さんの台詞に「赤埴(あかはに)源蔵(の衣裳)ある?」というのがある。ドラマなら赤垣(あかがき)源蔵といってはばかることがないのに、わざわざ「あかはに」というセリフを書いてるところにこだわりを感じる。(ちなみに犯人のクイズの対戦相手の名前は堀部靖子(ほりべやすこ)である)

2009年秋のJ-waveの番組で清水ミチコ氏に忠臣蔵の魅力を説いて聞かせていらした。

2014年の舞台「吉良ですが、なにか?」のパンフレットで古くから東京サンシャインボーイズに携わってる阿南健治氏(「ショウ・マスト・ゴー・オン」では大石内蔵助)が、「吉良ですが、なにか?」までは三谷氏は本格的に忠臣蔵はやってないとコメントしてらっしゃるので、機会を捕まえて三谷先生ご本人にうかがったら「日大の後輩のために、ちょっと書いたことがあります」ということで、昔ネットで見かけた88年だか89年の「大忠臣蔵」って言うのが、たぶんソレらしい。

同年秋に公開してヒットした「清須会議」についてのインタビュー(シネマトゥデイ)で三谷幸喜は、忠臣蔵はいろんな切り口があると語っていらっしゃる。

2015年1月に放送された「フジテレビ開局55周年特別企画 オリエント急行殺人事件」において、三谷氏はお家断絶。散り散りになる仲間。仇討ちのための集合。殺人計画の暗躍。「いつになったら実行するのよ!」あげくに「討ち入り前の血判状」というセリフまで飛び出し、忠臣蔵度を高く描いた。

2020年秋にアマゾンプライムから配信した三谷先生作のコメディ「誰かが、見ている」#2の冒頭エピソードで、香取慎吾演じるド天然の主人公がバイトで働く撮影所にも忠臣蔵が出てきて、吉良上野介に扮した西田敏行が迷惑をしている。先生はもともとお詳しいし、さらにお好きだとお見受けしました。


註03…「殿が亡くなられた!お家断絶の再興の望みも断たれた今、赤穂の塩は粗塩となって瀬戸内の海に流れて行くわいなあ」…内蔵助が手紙で殿様の死を知った段階では「再興の望みが絶たれる」のは、かなり未来の話しであり、この台詞のおかしさをたとえるなら「夜が明けた!もう日が暮れたから…」というちぐはぐ。

 そのことは「時間稼ぎ」こそがキーになっている「忠臣蔵」において、討ち入りを1年10ヶ月も引き伸ばす、「お家再興」という恰好の材料を冒頭で捨ててしまうことになり、いまの三谷先生ならこんなことはしないのでは?と思う。



(附言)

2018年夏、映画「カメラを止めるな!」のヒットを受けてか、このページのアクセス数があがった。

ナマで動いている芝居を、止めないように裏方が四苦八苦するプロットは似ているが、性質や制作された時代が違うので、両作品(<ショウマスト…についてはTV版を言及)を比べて云々できないし、するのも野暮かと思うが、映像表現として観客に「見せる」という作業をする上での、心構えや丁寧さ、そもそもシンプルに笑う回数は、「カメとめ」が圧倒的。

映画「ボヘミアン・ラプソディ」のヒットや、ジャニー喜多川氏の訃報を受けても、このページのアクセスが上がる。



三谷幸喜の忠臣蔵関連作品