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ショウ マスト ゴー オン 幕をおろすな

496 バイト追加, 2019年5月2日 (木) 18:37
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このころの三谷幸喜がテレビ用の脚本に慣れてなかったのか、監督の腕前の問題なのか、'''すごくしろうと臭い'''(好感は持てるけど)出来であります。
あと、どういう事情なのか、びっくりするほど(じゃっかんイラッとするほど)出演者に'''美人がいない'''というのも特筆すべき特徴。(補足:コレ執筆後、古くからの三谷ファン〜漫画家けらえいこ夫妻〜にうかがったら、このドラマは当時の東京サンシャインボーイズの劇団員で出演者が構成されており、イコール舞台同様「美人がいない」(<あたしが言ったんじゃない)という暗黙のお約束みたいなものだそうで、見る側にあるていど心構えがいるそうです)。というのも特筆すべき特徴。(補足:コレ執筆後、古くからの三谷ファン〜漫画家けらえいこ夫妻〜にうかがったら、このドラマは当時の東京サンシャインボーイズの劇団員で出演者が構成されており、イコール舞台同様「美人がいない」(<あたしが言ったんじゃない 笑)という暗黙のお約束みたいなものだそうで、見る側にあるていど心構えがいるそうです)。
さて、肝心な劇中劇の忠臣蔵ですが、「ブラボー忠臣蔵」というアバンギャルドなものにアレンジされてる設定なので、それがツッコミどころの免罪符になっており、もう自由でいいわけでして、忠臣蔵であって無いような感じになっておりました。この本を書くに当たって、三谷幸喜はあらためて忠臣蔵を研究するようなことはしてないんじゃないかと思います。<small>(※注)(註01)</small>
ンま、それでもあえて突っ込むなら吉良のセリフにある「わしにはお上がついている!」コレは「お上」より「上杉十五万(or三十万)石」のほうがイイですね。お上からは見放されたことで有名なので。
江戸の一大事の手紙を受け取った内蔵助が「殿が亡くなられた!お家断絶の再興の望みも断たれた今、赤穂の塩は粗塩となって瀬戸内の海に流れて行くわいなあ」ってセリフはあまりにもめちゃくちゃで逆に爆笑しました(笑)。<small>(註02)</small>
前述のけら夫妻は、セリフにはすべてにおいて三谷幸喜の目が光ってると言っていたが、上記のセリフはあるていど役者まかせの野放しではないかと推測…するんだけど、わざとかなぁ。
(※注)とはいえ88年だか89年に「大忠臣蔵」って言うのを書いてると某サイトで見かけたし、09年秋のJ註01…とはいえ88年だか89年に「大忠臣蔵」って言うのを書いてると某サイトで見かけたし、09年秋のJ-waveの番組で清水ミチコ氏に忠臣蔵の魅力を説いて聞かせているので、もともとくわしいと見受ける。
ただ2014年の舞台「[[吉良ですが、なにか?]]」のパンフレットで古くから東京サンシャインボーイズに携わってる阿南健治氏(「ショウ・マスト・ゴー・オン」では大石内蔵助)が、「[[吉良ですが、なにか?]]」までは三谷氏は本格的に忠臣蔵はやってないとコメントしてらっしゃる。
 
 
 
註釈02…「殿が亡くなられた!お家断絶の再興の望みも断たれた今、赤穂の塩は粗塩となって瀬戸内の海に流れて行くわいなあ」…内蔵助が手紙で殿様の死を知った段階では「再興」に「望み」をかけるのは、未来の話しであり、この台詞のおかしさをたとえるなら、たとえば「夜が明けた!もう日が暮れたから…」というかんじ。
2018年夏、映画「カメラを止めるな!」のヒットを受けてか、このページのアクセス数があがった。
ナマで動いている芝居を止めないように裏方が四苦八苦するプロットは似ているが性質、制作された時代が違うので両作品(ショウマスト…についてはTV版を言及)を比べて云々できないしするのも野暮かと思うが、映像表現として観客に「見せる」という作業をする上での心構えや丁寧さ、そもそもシンプルに笑う回数は「カメとめ」が圧倒的。ナマで動いている芝居を、止めないように裏方が四苦八苦するプロットは似ているが、性質や制作された時代が違うので、両作品(<ショウマスト…についてはTV版を言及)を比べて云々できないし、するのも野暮かと思うが、映像表現として観客に「見せる」という作業をする上での、心構えや丁寧さ、そもそもシンプルに笑う回数は、「カメとめ」が圧倒的。

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