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ショウ マスト ゴー オン 幕をおろすな

110 バイト追加, 2017年4月19日 (水) 09:13
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勝手に作品を変えられた作家が「どうして言ってくれないのかなー。言ってくれたら、ボク、自分で直したのになーっ」と悲痛に(そして滑稽に)叫ぶシーンが他人事とは思えませんでした。なにせテレビのオンエアを見たらCG屋さんが黙って[[もりいくすお|あたし]]の絵を描き変えてたなんてことが日常茶飯事なので(^∇^; )。
舞台版は1994年の紀伊國屋ホールのを中継番組で見たが、10年以上前のビミョーな時代背景(この頃の和製コメディってわざとらしいばっかりでおもしろくない)の作品なのにすごく笑える。舞台版は1994年の紀伊國屋ホールのを中継番組で見たが、喜劇暗黒時代のビミョーな時代背景(この頃の和製コメディの多くはわざとらしいばっかりでホントにおもしろくない)なのにすごく笑える。
このころの三谷幸喜がテレビ用の脚本に慣れてなかったのか、監督の腕がないのか、'''すごくしろうと臭い'''(好感は持てるけど)出来であります。
あと、どういう事情なのか、びっくりするほど(じゃっかんイラッとするほど)美人がいないというのも特筆すべき特徴。(補足:コレ執筆後、古くからの三谷ファンにうかがったら、このドラマは当時の東京サンシャインボーイズの劇団員で出演者が構成されており、イコール舞台同様「美人がいない」という暗黙のお約束みたいなものだそうで、見る側にあるていど心構えがいるそうです)。あと、どういう事情なのか、びっくりするほど(じゃっかんイラッとするほど)美人がいないというのも特筆すべき特徴。(補足:コレ執筆後、古くからの三谷ファンにうかがったら、このドラマは当時の東京サンシャインボーイズの劇団員で出演者が構成されており、イコール舞台同様「美人がいない」(<あたしが言ったんじゃない)という暗黙のお約束みたいなものだそうで、見る側にあるていど心構えがいるそうです)。
舞台版を見ると「ああ、三谷幸喜ってもうこの頃ですでに完成してるんだなあ」と感心ちゃうのに、テレビ版を見ると「ああ、三谷幸喜って若いころはまだこんな感じだったんだあ」と、感想がかなり変わっちゃう。
 
江戸の一大事の手紙を受け取った内蔵助が「殿が亡くなられた!お家断絶の再興の望みも断たれた今、赤穂の塩は粗塩となって瀬戸内の海に流れて行くわいなあ」ってセリフはあまりにもめちゃくちゃで逆に爆笑しました(笑)。
前述の「三谷ファンの友人」は、セリフにはすべてにおいて三谷幸喜の目が光ってると言っていたが、上記のセリフは役者のアドリブな筈である。確認のすべがないけど…前述の「三谷ファンの友人」は、セリフにはすべてにおいて三谷幸喜の目が光ってると言っていたが、上記のセリフはあるていど役者まかせの野放しではないかと推測される。確認のすべがないけど…
(※注)とはいえ88年だか89年に「大忠臣蔵」って言うのを書いてると某サイトで見かけたし、09年秋のJ-waveの番組で清水のミッちゃんに忠臣蔵の魅力を説いて聞かせているんで、もともとはくわしいと見受ける。
ただ2014年の舞台「[[吉良ですが、なにか?]]」のパンフレットで古くから東京サンシャインボーイズに携わってる阿南健治氏(「ショウ・マスト・ゴー・オン」では大石内蔵助)が、「[[吉良ですが、なにか?]]」までは本格的に忠臣蔵はやってないとコメントしてらっしゃる。」までは三谷氏は本格的に忠臣蔵はやってないとコメントしてらっしゃる。

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