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一呑

サイズ変更なし, 2009年5月17日 (日) 16:56
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泉岳寺のお坊さん。石獅と一呑【せきし と いちどん】……泉岳寺の若いお坊さん。。
討ち入り後、義士たちが泉岳寺に来たあと、クビを置いて[[画像:UKETORI.jpg|thumb|吉良邸から泉岳寺に当てた「首」の領収書]]  討ち入り後、義士たちが泉岳寺に来たときに山門を閉め切り、所化(しょけ:修行中の僧)の一呑がリーダーとなって同輩の石獅(せきし)ら7〜8人で上杉勢が押し寄せてきたときに応戦しようと、興奮して刀を研いだりした。  どうやら誰も襲ってこないので石獅は近所の酒屋に酒を買いに行き、「薬湯の般若湯と申します」なんぞ言って、浪士たちに振る舞ったりした。  そのあと、みんな[[吉良上野介|クビ]]を置いて[[仙石伯耆守|仙石]]さんちに行っちゃったんで、重箱に入れて次の日の夜吉良邸に届けた。さんちに行っちゃったんで、役僧の承天と相談をし、重箱に入れて次の日の夜、ふたりで吉良邸に届けた。  応対した[[左右田孫兵衛]]はクビがない死体は下賤の変死体と同じだからと、菩提所の萬昌院から受け取りを断られて困ってたので、クビがやってきたことを喜び、クビさえ手に入ればもう用なしの一呑たちをさっさと追い返そうとしたが、石獅たちは受け取りを求めた。 孫「かような品に請取を出したおぼえはない」 石「(ムカッ)んじゃ、取られた首を返してもらった試しが、日本開闢以来どこにござった!?」 てんで、前代未聞の「クビの領収書」をしたためました。そのときの領収書は泉岳寺で展示されています。(右上:画像)  受け取りのサインは[[左右田孫兵衛]]と[[斎藤宮内]]であります。(二人とも討ち入りのとき逃げた人)  ちなみに、当時の泉岳寺の和尚は長恩とか酬山とか?