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中村仲蔵

サイズ変更なし, 2009年3月20日 (金) 14:45
編集の要約なし
正蔵の仮名手本忠臣蔵・五段目の描写は、現在の五段目の内容と大きく違い、聴いてるほうが戸惑うが、歌舞伎とは姉妹演劇である(原作である)文楽の仮名手本忠臣蔵・五段目を見ると合点がいく。おそらく文楽はオリジナルに近いカタチなのでしょうな。正蔵の落語は昭和40年の録音だが、おそらくその時点で歌舞伎の手は平成に見る仮名手本・五段目と変わらないんじゃないかと思うが、正蔵はあえて昔から受け継がれてる、古いほうの演出内容で噺している。んまあ、噺のバックグラウンドが江戸時代なんだから当たり前といえば当たり前ですが。
ところが、あたしと2つしか年の違わない志らく師匠は歌舞伎のディティールは現在の仮名手本・五段目でやっちゃってる(少なくとも09.3月現在。ネタおろしではそうでした)。歌舞伎を知ってるほうとしてはそのほうがわかりやすいのだが、もとの噺といまの歌舞伎ではじゃっかんちぐはぐな点が出てくるから、ここら辺は「いまはこうですが、昔はこうだったそうで」と入れてもイイかもですな。でもテンポが崩れるか。そもそも、たぶん志らく師匠は人形浄瑠璃のほうは知らねえな、きっと。ま、聴いてるほうもどうせあんにゃもんにゃだから、全体も出来が良ければようがす。3月現在。ネタおろしではそうでした)。歌舞伎を知ってるほうとしてはそのほうがわかりやすいのだが、もとの噺といまの歌舞伎ではじゃっかんちぐはぐな点が出てくるから、ここら辺は「いまはこうですが、昔はこうだったそうで」と入れてもイイかもですな。でもテンポが崩れるか。そもそも、たぶん志らく師匠は人形浄瑠璃のほうは知らねえんじゃねえかな。ま、聴いてるほうもどうせあんにゃもんにゃだから、全体も出来が良ければようがす。
あたしゃ彦六師匠は「ふうん」て聴くけど。志らく師匠のじゃあ、泣きますからね。
 
 
だから古典落語って、現代人がわからない状態ででも「まんま」受けつぎゃいいのか、現代人に伝わるようにアレンジしていって継承すべきなのか、なやましゅうござんすね。オリジナルを理解しててそっちとアレンジとを両方を弟子に教えるのがいいんでしょうな。
とにかく、ものつくりの方にはオススメのお話。

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