「仙石伯耆守」の版間の差分

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[[画像:sengoku.jpg|thumb|役者絵:神山 繁]]
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[[画像:R0013920.JPG|thumb|東京虎ノ門の仙石邸跡。近所のニッショーホールにモニュメントがある。]]
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仙石伯耆守【せんごく ほうきのかみ】…幕府大目付。
 
仙石伯耆守【せんごく ほうきのかみ】…幕府大目付。
  
討ち入り後に[[吉田忠左衛門]]と[[冨森助右衛門]]が仙石邸に自首した。
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討ち入り後にメンバーが上野介の[[吉良上野介|クビ]]を持って泉岳寺に行ってる間に、[[吉田忠左衛門]]と[[冨森助右衛門]]のふたりがこの仙石邸に自首した。
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泉岳寺に立てこもってた赤穂義士たちは4キロ歩いて仙石邸で武装解除。
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石高の多い順に'''4つのお屋敷'''に分けられて沙汰を待った。「[[元禄繚乱]]」ではわけられるとき義士たちが「父上!」「兄上!」と別れを惜しんで去っていく肉親に声をかけるシーンがあり、印象的。この作品ではアンチ[[柳沢吉保]]だからという情報から、この人のところに自首することにしたが、浅野家と遠い親戚筋だったという説がある。
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「[[最後の忠臣蔵]]」ではひととおり役目を終えて、あとから自首してきた[[寺坂吉右衛門]]をしばらく預かっているが、放免する。
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「元禄撩乱」ではアンチ[[柳沢吉保]]だからということでこの人のところに行くことにしたが、浅野家と遠い親戚筋だったという説がある。
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講談では、松の廊下事件のあと、浅野本家の[[松平安芸守]]から「上野介んちが夜な夜な放火にあうから江戸城より遠くに引越させたほうがいい。でないと仙石様の責任に」などと脅かされてその気になり、老中・稲葉美濃守(いなばみののかみ)に進言。伝言ゲームで結局将軍は上野介の隠居を決め、討ち入りがたいへんしやすくなった。という逸話がある。
  
討ち入り後泉岳寺に立てこもってた赤穂義士たちは4キロ歩いて仙石邸で武装解除。石高の多い順に'''4つのお屋敷'''に分けられて沙汰を待った。「元禄撩乱」ではわけられるとき「父上!」「兄上!」と叫んで別れを惜しんでいる。
 
  
 
===4つのお屋敷===
 
===4つのお屋敷===
#肥後熊本藩・細川家:港区高輪1-15-1都営高輪アパート(明治学院大学のそば。そこそこ泉岳寺に近い)
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* '''肥後熊本藩'''・細川家:港区高輪1-15-1都営高輪アパート(明治学院大学のそば。そこそこ泉岳寺に近い)
#伊予松山藩・松平家:港区三田2‐5‐4 イタリア共和国大使館内(赤羽小の前を入ったところ。イタリア大使館内で見られない)
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#長門府中藩・毛利家:六ヒルんところの毛利庭園(道路のほう)。
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[[大石内蔵助]]/[[吉田忠左衛門]]/[[原惣右衛門]]/[[片岡源五右衛門]]/[[間瀬久太夫]]/[[小野寺十内]]/[[堀部弥兵衛]]/[[礒貝十郎左衛門]]/[[近松勘六]]/[[潮田又之丞]]/[[冨森助右衛門]]/[[赤埴源蔵]]/[[矢田五郎右衛門]]/[[大石瀬左衛門]]/[[早水藤左衛門]]/[[奥田孫太夫]]/[[間喜兵衛]]
#三河岡崎藩・水野家:水野監物邸跡(みずのけんもつていあと)とは港区芝5-20-20(田町駅のそば。繁華街の中でただの剪定つうか植え込みに見える)
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* '''伊予松山藩'''・松平家:港区三田2‐5‐4 [http://blog.kusuya.net/?day=20140513 イタリア共和国大使館内](赤羽小の前を入ったところ。イタリア大使館内で見られない)
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[[大石主税]]/[[堀部安兵衛]]/[[中村勘助]]/[[菅谷半之丞]]/[[不破数右衛門]]/[[千馬三郎兵衛]]/[[岡野金右衛門]]/[[木村岡右衛門]]/[[貝賀弥左衛門]]/[[大高源五]]
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* '''長門府中藩'''・毛利家:六ヒルんところの毛利庭園(道路のほう)。
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[[岡嶋八十右衛門]]/[[吉田沢右衛門]]/[[武林唯七]]/[[倉橋伝助]]/[[村松喜兵衛]]/[[杉野十平次]]/[[勝田新左衛門]]/[[前原伊助]]/[[間新六郎]]/[[小野寺幸右衛門]]
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* '''三河岡崎藩'''・水野家:水野監物邸跡(みずのけんもつていあと)とは港区芝5-20-20(田町駅のそば。繁華街の中でただの剪定つうか植え込みに見える)
  
==関連項目==
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[[間瀬孫九郎]]/[[間十次郎]]/[[奥田貞右衛門]]/[[矢頭右衛門七]]/[[村松三太夫]]/[[神崎与五郎]]/[[茅野和助]]/[[横川勘平]]/[[三村次郎左衛門]]

2019年1月8日 (火) 09:56時点における版

役者絵:神山 繁
東京虎ノ門の仙石邸跡。近所のニッショーホールにモニュメントがある。

仙石伯耆守【せんごく ほうきのかみ】…幕府大目付。

討ち入り後にメンバーが上野介のクビを持って泉岳寺に行ってる間に、吉田忠左衛門冨森助右衛門のふたりがこの仙石邸に自首した。


泉岳寺に立てこもってた赤穂義士たちは4キロ歩いて仙石邸で武装解除。

石高の多い順に4つのお屋敷に分けられて沙汰を待った。「元禄繚乱」ではわけられるとき義士たちが「父上!」「兄上!」と別れを惜しんで去っていく肉親に声をかけるシーンがあり、印象的。この作品ではアンチ柳沢吉保だからという情報から、この人のところに自首することにしたが、浅野家と遠い親戚筋だったという説がある。


最後の忠臣蔵」ではひととおり役目を終えて、あとから自首してきた寺坂吉右衛門をしばらく預かっているが、放免する。


講談では、松の廊下事件のあと、浅野本家の松平安芸守から「上野介んちが夜な夜な放火にあうから江戸城より遠くに引越させたほうがいい。でないと仙石様の責任に」などと脅かされてその気になり、老中・稲葉美濃守(いなばみののかみ)に進言。伝言ゲームで結局将軍は上野介の隠居を決め、討ち入りがたいへんしやすくなった。という逸話がある。


4つのお屋敷

  • 肥後熊本藩・細川家:港区高輪1-15-1都営高輪アパート(明治学院大学のそば。そこそこ泉岳寺に近い)

大石内蔵助吉田忠左衛門原惣右衛門片岡源五右衛門間瀬久太夫小野寺十内堀部弥兵衛礒貝十郎左衛門近松勘六潮田又之丞冨森助右衛門赤埴源蔵矢田五郎右衛門大石瀬左衛門早水藤左衛門奥田孫太夫間喜兵衛


  • 伊予松山藩・松平家:港区三田2‐5‐4 イタリア共和国大使館内(赤羽小の前を入ったところ。イタリア大使館内で見られない)

大石主税堀部安兵衛中村勘助菅谷半之丞不破数右衛門千馬三郎兵衛岡野金右衛門木村岡右衛門貝賀弥左衛門大高源五


  • 長門府中藩・毛利家:六ヒルんところの毛利庭園(道路のほう)。

岡嶋八十右衛門吉田沢右衛門武林唯七倉橋伝助村松喜兵衛杉野十平次勝田新左衛門前原伊助間新六郎小野寺幸右衛門


  • 三河岡崎藩・水野家:水野監物邸跡(みずのけんもつていあと)とは港区芝5-20-20(田町駅のそば。繁華街の中でただの剪定つうか植え込みに見える)

間瀬孫九郎間十次郎奥田貞右衛門矢頭右衛門七村松三太夫神崎与五郎茅野和助横川勘平三村次郎左衛門