「假名手本忠臣蔵’61/義士始末記’62」の版間の差分

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(假名手本忠臣蔵 前編)
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赤穂市が出してる大資料「忠臣蔵 五巻」<small>註01</small>には本作について「大忠臣蔵を改題して前編として」いるとあるが、そんなシンプルなことではなく正確には、再編集して2作品に分けております。
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赤穂市が出してる大資料「忠臣蔵 五巻」<small>註01</small>には本作について「大忠臣蔵を改題して前編として」<small>註02</small>いるとあるが、そんなシンプルなことではなく正確には、再編集して2作品に分けております。
  
 
すなわち、おかる勘平がいかに仲が良いかのエピソードや、バンジュン出演シーンなどをバッサリとカットして、大石東下りでエンドマークにし、少し残ったやつを新たに撮った[[荻生徂徠]]エピソードでまとめて、2本見てちょうどいい感じにしている。
 
すなわち、おかる勘平がいかに仲が良いかのエピソードや、バンジュン出演シーンなどをバッサリとカットして、大石東下りでエンドマークにし、少し残ったやつを新たに撮った[[荻生徂徠]]エピソードでまとめて、2本見てちょうどいい感じにしている。
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註01…「忠臣蔵 五巻」の「假名手本忠臣蔵」の配役の項目に誤記。山村聡は林大学頭ではなく柳沢吉保であります。
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註01…「忠臣蔵 五巻」の「假名手本忠臣蔵」の配役の項目に誤記。山村聡は林大学頭ではなく柳沢吉保であります。ていうか、出てない。(その配役は以下の作品についてである)
 
 
 
 
  
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註02…これを信じてしまっていたので、上映館に赴いた時、タイトルだけしか違わないならマックに寄って途中から観ようかなと思ったが、劇場周辺に店が見つからなくて頭から観られたので事なきを得た。
  
 
== 後篇 義士始末記 ==
 
== 後篇 義士始末記 ==

2020年3月19日 (木) 00:34時点における版

作品概要
制作会社 松竹
公開年度 1961年
内蔵助役 市川猿之助
評価 2ツ星



假名手本忠臣蔵 前編

本作品2本は、1957年に公開された「大忠臣蔵」の、増補改訂版であります。

増補改訂版といえば、明治、大正期にはちょいちょいあった、元々の作品に新しい場面を足して新作として?リリースする作品。


赤穂市が出してる大資料「忠臣蔵 五巻」註01には本作について「大忠臣蔵を改題して前編として」註02いるとあるが、そんなシンプルなことではなく正確には、再編集して2作品に分けております。

すなわち、おかる勘平がいかに仲が良いかのエピソードや、バンジュン出演シーンなどをバッサリとカットして、大石東下りでエンドマークにし、少し残ったやつを新たに撮った荻生徂徠エピソードでまとめて、2本見てちょうどいい感じにしている。

さらに、オリジナル「大忠臣蔵」(以下オリジナル)は、七段目部分にしか三味線や義太夫が入らなかったが、今回はチョボが随所に散りばめられている。例えば大石内蔵助が城を去る時も、オリジナルでは静かな劇伴がかかっていたのが、改訂版では「〽血に染まる切っ先を打ち守り打ち守り…」と、かかるのであります。

そうそう。言うと、オープニングも、オリジナルでは切り絵の背景にスタッフ&キャストの名前が入るのだったが、改訂版は音も画も人形浄瑠璃の「仮名手本」の三段目。オーバーラップして北上弥太郎(浅野内匠頭)のアップになる。(撮り直したのか未使用なのかは不明)

で、この再編集によって、オリジナル版よりも本作のほうが映画として、原作の仮名手本忠臣蔵を手軽に楽しめる感じになっているのかなと思いました。

だけど、オチがないから星2つ。(大石東下りでエンドマーク、びっくりしたわ。)


註01…「忠臣蔵 五巻」の「假名手本忠臣蔵」の配役の項目に誤記。山村聡は林大学頭ではなく柳沢吉保であります。ていうか、出てない。(その配役は以下の作品についてである)

註02…これを信じてしまっていたので、上映館に赴いた時、タイトルだけしか違わないならマックに寄って途中から観ようかなと思ったが、劇場周辺に店が見つからなくて頭から観られたので事なきを得た。

後篇 義士始末記

作品概要
制作会社 松竹
公開年度 1962年
内蔵助役 市川猿之助
評価 2ツ星


「後篇」とされる「義士始末記」は、簡単な字幕で前篇のあらましを説明して始まり、踊りの師匠のおかつ=岡田茉莉子にパンダウン。以降、彼女を中心に話が回る。

ご本を執筆当時、本作を未見だとおっしゃっていた谷川健司先生の「忠臣蔵映画の全貌」によれば、この作品の公開当時、松竹は男性スターを次々に失い、女優を全面に打ち出したかったのでは?と予想していたが、ソレたぶん的中です。ポスターを見ると新国劇の島田正吾演じる荻生徂徠が主役なのだが、内容はほぼ岡田茉莉子のハナシなのであります。


<あらすじ>

今では出世して柳沢吉保のブレーン・徂徠だが、かつてはおかつの舞いを励みにして勉学し、おかつもまた徂徠を父のように慕っていた。

そんなおかつは、実は間喜兵衛が深川芸者に産ませてしまった私生児であるが(喜兵衛さんは出てこないが、とんだ引き合いに出されたものです。)、自分が間家の身内であることは家名のために世間に伏せていた。

おかつをほんとうの姉と慕っていた新六は、胸に秘めた討ち入りのハナシを姉にすることも出来ず「卑怯な腰抜け侍」と軽蔑され、姉弟の縁を切られてしまう。

(これに、ついでのように、別シーンで川津祐介(中村勘助)と岩下志麻(おしま)の仲のいいところも挟まれるが、ストーリーラインに関係ない。売り出したい若手をグイグイ入れてる。でもポスターで岡田と岩下は同格みたいな扱いでレイアウトされている。)

で、討ち入りはあって、世間は大盛り上がり。おかつは自分の浅はかさを悔やむ。

助命嘆願に大勢が大名屋敷に押し寄せたり、佐々十郎と芦屋小雁の巡礼の僧侶や、芦屋雁之助や大村崑のかご屋が、通りがかりの神社の団体と、たまたま居合わせた荻生徂徠のそっくりさんを崇め奉ってみんなで赤穂義士の無事をお祈りするというような怪現象までおこる始末(<書いていてわけわからなくなってきたが、ともかくこのシーン、そこそこタップリある)。

ネタバレしますが

要は、荻生徂徠は歴史(や落語)がしめすとおり、義士に切腹が良いと主張したわけで、結果ほんとに切腹になっちゃって世間が大ブーイングなわけです。

おかつも、大好きだった先生が切腹を主張したと知って大ショック。悪夢(これは彼女の舞いで表現されるが、これもタップリしている)を見たりする。

けど、あとになって弟は、徂徠先生に感謝し、「さむらい冥利。一同深く感謝しいたしおり候」と、武士として喜んで死んでいったと知り、おかつと先生の仲も直ってめでたしめでたし。(すげーいろいろ端折りました)


監督も出演者も申し分ないから、部分部分、すごく良いなと思うんだけど、上記のように「ま、こんな説明で、いっか」と思っちゃうような、なんというか大切にしたくなるナニカが無い作品。

「岡田茉莉子はすごく美人で、もりいは好みだ!」という以外、あんまりなにも残らない。


決して悪くない、好きな作品だが、助命だろうが切腹だろうが、ともかく誰も彼もが赤穂忠臣義士が好きという徹底した壮大な同調現象を「主役」にしてしまったことが、実際に苦悩したであろう幕閣や学者の存在感を無くしてしまった。

竹田出雲が後日談を書くならこうだろうな、とかそういう趣旨でもないから、前後編の意味もよくわからない。

当時の超人気テレビ番組のコメディアン(石井均や藤田まことの瓦版屋も出るよ)の入れ方や、岡田茉莉子の踊りのシーンの尺から言っても、この作品自体が軸足をどこにもおいてないのがお分かりいただけるかなと思う。

なんで作ったんだろう。