「假名手本忠臣蔵’61/義士始末記’62」の版間の差分

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{{Cinema|制作=松竹|公開=1961|内蔵助=市川猿之助|星=2|頃=}}
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{{Cinema|制作=松竹|公開=1961|内蔵助=市川猿之助|星=2|頃=}}[[画像:zen_kana.jpg|thumb|ポスター。]]
  
  
まだ、加筆中…。
 
  
 
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== 前編 假名手本忠臣蔵 ==
== 假名手本忠臣蔵 前編 ==
 
  
  
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[https://www.city.ako.lg.jp/edu/shougai/shishitosyo.html 赤穂市が出してる大資料「忠臣蔵 五巻」]<small>註01</small>には本作について「大忠臣蔵を改題して前編として」いる<small>註02</small>とあるが、そんなシンプルなことではなく正確には、再編集して2作品に分けております。
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[https://www.city.ako.lg.jp/edu/shougai/shishitosyo.html 赤穂市が出してる大資料「忠臣蔵 五巻」]<small>註01</small>には本作について「大忠臣蔵を改題して前編として」いるとあるが、そんなシンプルなことではなく正確には、再編集して2作品に分けております。<small>註02</small>
  
すなわち、おかる勘平がどれほど仲が良いかのエピソードや、バンジュン出演シーンなどをバッサリとカットして、大石東下りでエンドマークにし、少し残ったやつを新たに撮った[[荻生徂徠]]エピソードにちりばめて、2本見てちょうどいいランニングタイムにしている。
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すなわち、おかる勘平がどれほど仲が良いかのエピソードや、バンジュン出演シーンなどをバッサリとカットして、大石東下りでエンドマークにし、少し残ったやつを新たに撮った[[荻生徂徠]]エピソードにちりばめて続編として、2本見てちょうどいいランニングタイムにしている。
  
さらに、オリジナル「大忠臣蔵」(以下オリジナル)は、七段目部分にしか三味線や義太夫が入らなかったが、今回はチョボが随所に散りばめられている。例えば大石内蔵助が城を去る時も、オリジナルでは静かな劇伴がかかっていたのが、改訂版では「〽血に染まる切っ先を打ち守り打ち守り…」と、かかるBGMの差し替えもあります。
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さらに、オリジナル「大忠臣蔵」(以下オリジナル)は、七段目部分にしか三味線や義太夫が入らなかったが、今回はチョボが随所に散りばめられている。例えば大石内蔵助が城を去る時も、オリジナルでは静かな劇伴がかかっていたのが、改訂版では「〽血に染まる切っ先を打ち守り打ち守り…」と、BGMの差し替えもあります。
  
そうそう。それで言うと、オープニングも、オリジナルでは切り絵の背景にスタッフ&キャストの名前がテーマ曲に乗せて入るのだったが、改訂版は音も画も人形浄瑠璃の「仮名手本」の三段目。クレジットを出しきったところで人形とオーバーラップして北上弥太郎(浅野内匠頭)のアップになる。(この、顔のアップはオリジナルに無く<small>(要確認)</small>、撮り直したのか未使用なのかは不明)
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そうそう。それで言うと、オープニングも、オリジナルでは切り絵の背景にスタッフ&キャストの名前がテーマ曲に乗せて入るのだったが、改訂版は音も画も人形浄瑠璃の「仮名手本」の三段目。クレジットを出しきったところで人形とオーバーラップして北上弥太郎(浅野内匠頭)のアップになる。(この、顔のアップはオリジナルに無く<small>(要確認)</small>、撮り直したのか未使用フィルムなのかは不明)
  
この再編集によって、オリジナル版よりも本作のほうが映画として、原作の仮名手本忠臣蔵を手軽に楽しめる感じになっているのかなと思いました。
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この再編集によって、オリジナル版よりも本作のほうが、古典の息吹を感じつつも、短いぶん映画として手軽に楽しめる感じになっているなと思いました。
  
 
だけど、オチがないから星2つ。(大石東下りでエンドマーク、びっくりしたわ。)
 
だけど、オチがないから星2つ。(大石東下りでエンドマーク、びっくりしたわ。)
  
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続編をムリしないでこのまま討ち入るわけにはいかなかったのだろうか…。
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註01…「忠臣蔵 五巻」の「假名手本忠臣蔵」の配役の項目に誤記。山村聡は林大学頭ではなく柳沢吉保であります。ていうか、出てない。(その配役は以下・続編の作品についてのもの。同じ編纂者の先生が令和3年に「忠臣蔵と四谷怪談を演じた役者たち」をリリースしたが、この誤記は踏襲されてしまっている。あたしめに聴いてくだされば、わかる範囲でしたらお力になれましたのに……)
  
註01…「忠臣蔵 五巻」の「假名手本忠臣蔵」の配役の項目に誤記。山村聡は林大学頭ではなく柳沢吉保であります。ていうか、出てない。(その配役は以下の作品についてのもの)
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註02…おそらく当て推量で書かれたその記述を、もりいは鵜呑みにしてしまっていたので、上映館に赴いた折、タイトルだけしか違わないならマックに寄って軽く腹ごしらえでもしてから途中から観よっかな…などとも思ったが、劇場周辺に店が見つからなかったおかげで頭から観られて、事なきを得た。(名古屋ミッドランドスクエアシネマ「月イチ35mmフィルム上映」2020.3月)
  
註02…おそらく当て推量で書かれたこの記述を信じてしまっていたので、上映館に赴いた折、タイトルだけしか違わないならマックに寄って途中から観ようかなと思ったが、劇場周辺に店が見つからなくて頭から観られたので、事なきを得た。
 
  
 
<附言>
 
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ちなみにこの「假名手本忠臣蔵 前篇」「後篇 義士始末記」という表記については、公開当時のポスターに準じております。
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ちなみにこの「前編 假名手本忠臣蔵」「後篇 義士始末記」という表記については、公開当時のポスターに準じております。
  
  
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{{Cinema|制作=松竹|公開=1962|内蔵助=市川猿之助|星=2|頃=}}
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{{Cinema|制作=松竹|公開=1962|内蔵助=市川猿之助|星=2|頃=}}[[画像:gisisimatsuki.jpg|thumb|女子の前髪タップリだし島田正吾は総髪だし、壬生義士と間違える人も出そうなポスター。]]
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「後篇」とされる「義士始末記」は、簡単な字幕で前篇のあらましを説明して始まり、踊りの師匠のおかつ=岡田茉莉子にパンダウン。以降、彼女を中心に、およそ仮名手本忠臣蔵とは関係のない話が回り出す。
  
「後篇」とされる「義士始末記」は、簡単な字幕で前篇のあらましを説明して始まり、踊りの師匠のおかつ=岡田茉莉子にパンダウン。以降、彼女を中心に話が回る。
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ご本を執筆当時、本作を未見だとおっしゃっていた谷川健司先生の「忠臣蔵映画の全貌」によれば、この作品の公開当時、松竹は男性スターを次々に失い、女優を全面に打ち出したかったのでは?と予想していたが、ソレたぶん、このあたりから始まってるのではないでしょうか。(松竹は「女優王国」と言われるようになる)
  
ご本を執筆当時、本作を未見だとおっしゃっていた谷川健司先生の「忠臣蔵映画の全貌」によれば、この作品の公開当時、松竹は男性スターを次々に失い、女優を全面に打ち出したかったのでは?と予想していたが、ソレたぶん的中です。ポスターを見ると新国劇の島田正吾演じる[[荻生徂徠]]が主役なのだが、内容はほぼ岡田茉莉子のハナシなのであります。
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言われてみればこの作品は、ポスターを見ると新国劇の島田正吾演じる[[荻生徂徠]]が主役なのだが、内容はほぼ岡田茉莉子のプロモーションフィルムであるかの如き内容なのであります(彼女の演技のバリエーションや舞いなどがフンダン)。
  
  
 
<あらすじ>
 
<あらすじ>
  
今では出世して柳沢吉保のブレーン・[[荻生徂徠|徂徠]]だが、かつてはおかつの舞いを励みにして勉学し、おかつもまた徂徠を父のように慕っていた。
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今では出世して[[柳沢吉保]]のブレーン・[[荻生徂徠|徂徠]]だが、かつてはおかつの舞いを励みにして勉学し、おかつもまた徂徠を父のように慕っていた。
  
 
そんなおかつは、実は[[間喜兵衛]]が深川芸者に産ませてしまった私生児であるが(喜兵衛さんは出てこないが、とんだ引き合いに出されたものです。)、自分が間家の身内であることは家名のために世間に伏せていた。
 
そんなおかつは、実は[[間喜兵衛]]が深川芸者に産ませてしまった私生児であるが(喜兵衛さんは出てこないが、とんだ引き合いに出されたものです。)、自分が間家の身内であることは家名のために世間に伏せていた。
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おかつをほんとうの姉と慕っていた[[間新六郎|新六]]は、胸に秘めた討ち入りのハナシを姉にすることも出来ず「卑怯な腰抜け侍」と軽蔑され、姉弟の縁を切られてしまう。
 
おかつをほんとうの姉と慕っていた[[間新六郎|新六]]は、胸に秘めた討ち入りのハナシを姉にすることも出来ず「卑怯な腰抜け侍」と軽蔑され、姉弟の縁を切られてしまう。
  
(これに、ついでのように、別シーンで川津祐介([[中村勘助]])と岩下志麻(おしま)の仲のいいところもアクセントとして挟まれるが、ストーリーラインに関係ない。売り出したい若手をグイグイ入れてる。でもポスターで岡田と岩下は同格みたいな扱いでレイアウトされている。<small>註01</small>)
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(これに、ついでのように、別シーンで川津祐介([[中村勘助]])と岩下志麻(おしま)の仲のいいところもアクセントとして挟まれるが、ストーリーラインに関係ない。売り出したい若手をグイグイねじこんでる。でもポスターで岡田と岩下は同格みたいな扱いでレイアウトされている。<small>註01</small>)
  
で、討ち入りはあって、世間は大盛り上がり。おかつは弟新六の参加を知ると自分の浅はかさを悔やむ。
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で結局、討ち入りはあって、世間は大盛り上がり。おかつは瓦版で弟・新六の参加を知ると自分の浅はかさを悔やむ。
  
助命嘆願に大勢が大名屋敷に押しかけたり(学生運動のようなモブ)、佐々十郎と芦屋小雁の巡礼の僧侶や、芦屋雁之助や大村崑のかご屋が、通りがかりの神社の団体と、たまたま居合わせた荻生徂徠のそっくりさんを崇め奉ってみんなで赤穂義士の無事をお祈りするというような怪現象までおこる始末(<書いていてわけわからなくなってきたが、ともかくこのシーン、そこそこタップリある)。
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助命嘆願に大勢が大名屋敷に押しかけたり(学生運動のようなモブ)、佐々十郎と芦屋小雁の巡礼の僧侶や、芦屋雁之助や大村崑のかご屋が、通りがかりの神社の団体と、たまたま居合わせた荻生徂徠のそっくりさんを、その場で崇め奉ってみんなで赤穂義士の無事をお祈りするというような怪現象までおこる始末(<書いていてわけわからなくなってきたが、ともかくこのシーン、そこそこタップリある)。
  
 
ネタバレしますが
 
ネタバレしますが
  
要は、荻生徂徠は歴史(や落語)がしめすとおり、義士に切腹が良いと主張したわけで、結果ほんとに切腹になっちゃって世間が大ブーイングなわけです。
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要は、荻生徂徠は歴史(や落語)がしめすとおり、義士には切腹が良いと主張したわけで、結果ほんとに切腹になっちゃって世間が大ブーイングなわけです。
  
おかつも、大好きだった先生が切腹を主張したと知って大ショック。悪夢(これは彼女の舞いで表現されるが、これもタップリしている)を見たりする。
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おかつも、大好きだった先生が切腹を主張したと知って大ショック。悪夢(…は彼女の舞いで表現されるが、これもタップリしている)を見たりする。
  
 
けど、あとになって弟は、徂徠先生に感謝し、「さむらい冥利。一同深く感謝しいたしおり候」と、武士として喜んで死んでいったと知り、おかつと先生の仲も直ってめでたしめでたし。(すげーいろいろ端折りました。上記エピソードにところどころ、吉良家のリンチに遭う[[片岡源五右衛門]]や討ち入りといった、オリジナルで撮ったやつが入る。)
 
けど、あとになって弟は、徂徠先生に感謝し、「さむらい冥利。一同深く感謝しいたしおり候」と、武士として喜んで死んでいったと知り、おかつと先生の仲も直ってめでたしめでたし。(すげーいろいろ端折りました。上記エピソードにところどころ、吉良家のリンチに遭う[[片岡源五右衛門]]や討ち入りといった、オリジナルで撮ったやつが入る。)
  
  
監督も出演者も申し分ないから、部分部分、すごく良いなと思うんだけど、上記のように「ま、こんな説明で、いっか」と思っちゃうような、なんというか大切にしたくなるナニカが無い作品。
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監督も出演者も申し分ないから、部分部分、すごく良いなと思うんだけど、上記のように「ま、こんな説明で、いっか」と思っちゃうような、なんというか大切にしたくなるナニカが足りない作品。
  
「岡田茉莉子はすごく美人で、もりいは好みだ!」という以外、あんまりなにも残らない。
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「岡田茉莉子はすごく美人で、[[もりいくすお|もりい]]のタイプだ!」という以外、あんまりなにも残らない。
  
  
決して悪くない、好きな作品だが、助命だろうが切腹だろうが、ともかく誰も彼もが赤穂忠臣義士が好きという徹底した壮大な同調現象を「主役」にしてしまったことが、実際に苦悩したであろう幕閣や学者の存在感を無くしてしまった。
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決して悪くない、好きな作品だが、助命だろうが切腹だろうが、ともかく誰も彼もが赤穂忠臣義士が好きという徹底した壮大な同調現象を「主役」にしてしまったことが、実際に苦悩したであろう幕閣や学者の存在感を無くしてしまった。このことが本作の厚みに影響している。
  
竹田出雲が後日談を書くならこうだろうな、とかそういう趣旨でもない。
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仮名手本忠臣蔵の続編としながらも、竹田出雲が後日談を書くならこうだろうな、とかそういう趣向でもない。
  
当時の超人気テレビ番組のコメディアン(石井均や藤田まことの瓦版屋も出るよ)の入れ方や、岡田茉莉子の踊りのシーンの尺から言っても、この作品自体の軸足の曖昧さがお分かりいただけるかなと思う。
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当時の超人気テレビ番組のコメディアン(石井均や藤田まことの瓦版屋も出るが、大村崑のシーン同様1シーンのゲストである)のブッコミ方や、岡田茉莉子の踊りのシーンの尺から言っても、この作品自体の軸足の曖昧さがお分かりいただけるかなと思う。
  
 
なんで作ったんだろう。
 
なんで作ったんだろう。
  
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Wikipediaによれば、岡田茉莉子は有馬稲子(本作の[[瑤泉院]])と「二枚看板」と言われているが、オリジナルの「大忠臣蔵」が公開当時は、岡田茉莉子は東宝映画在籍だったので不在だった。<small>註02</small>
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その後に松竹と契約し、小津映画などで活躍した岡田(や、新人の岩下)を、松竹がフィーチャーしようという狙いは、ほんとうにあったのかも。
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註01…岩下志麻はこの映画公開の前年にデビューしたそうで(とはいえプレスリリースには「トップスター」とうたっている。ちなみに岡田は「人気最高」で島田は「新国劇の王者」)、本作ではほとんど台詞も無いのに、たしかに出てきた3場面は強烈な印象を残す。
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註02…いやでも、オリジナル公開当時の1957年は「東宝との契約問題で話題を集めた岡田茉莉子が大映に初出演」と、映画「[[刃傷未遂]]」(大映映画)のロビーカードにある。いろいろお転婆なエピソードがありそうですわい。
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あーもう、「秋日和」観たくなっちゃったい。見よ。
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== 関連作品 ==
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* 「[[通し狂言 仮名手本忠臣蔵]]」…原案、原作となる人形浄瑠璃および歌舞伎
  
註01…岩下志麻はこの映画公開の前年にデビューしたそうで、本作ではほとんど台詞も無いのに、出てきた3場面は強烈な印象を残す。(でも、ポスターで同格は無ぇなあ)
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* 「[[大忠臣蔵]]」(松竹)1957…もともとの映画

2021年12月21日 (火) 08:58時点における最新版

作品概要
制作会社 松竹
公開年度 1961年
内蔵助役 市川猿之助
評価 2ツ星
ポスター。


前編 假名手本忠臣蔵

本作品2本は、1957年に公開された「大忠臣蔵」の、増補改訂版であります。

増補改訂版といえば、明治、大正期にはちょいちょいあった、元々の作品に新しい場面を足して新作として?リリースする作品。


赤穂市が出してる大資料「忠臣蔵 五巻」註01には本作について「大忠臣蔵を改題して前編として」いるとあるが、そんなシンプルなことではなく正確には、再編集して2作品に分けております。註02

すなわち、おかる勘平がどれほど仲が良いかのエピソードや、バンジュン出演シーンなどをバッサリとカットして、大石東下りでエンドマークにし、少し残ったやつを新たに撮った荻生徂徠エピソードにちりばめて続編として、2本見てちょうどいいランニングタイムにしている。

さらに、オリジナル「大忠臣蔵」(以下オリジナル)は、七段目部分にしか三味線や義太夫が入らなかったが、今回はチョボが随所に散りばめられている。例えば大石内蔵助が城を去る時も、オリジナルでは静かな劇伴がかかっていたのが、改訂版では「〽血に染まる切っ先を打ち守り打ち守り…」と、BGMの差し替えもあります。

そうそう。それで言うと、オープニングも、オリジナルでは切り絵の背景にスタッフ&キャストの名前がテーマ曲に乗せて入るのだったが、改訂版は音も画も人形浄瑠璃の「仮名手本」の三段目。クレジットを出しきったところで人形とオーバーラップして北上弥太郎(浅野内匠頭)のアップになる。(この、顔のアップはオリジナルに無く(要確認)、撮り直したのか未使用フィルムなのかは不明)

この再編集によって、オリジナル版よりも本作のほうが、古典の息吹を感じつつも、短いぶん映画として手軽に楽しめる感じになっているなと思いました。

だけど、オチがないから星2つ。(大石東下りでエンドマーク、びっくりしたわ。)

続編をムリしないでこのまま討ち入るわけにはいかなかったのだろうか…。


註01…「忠臣蔵 五巻」の「假名手本忠臣蔵」の配役の項目に誤記。山村聡は林大学頭ではなく柳沢吉保であります。ていうか、出てない。(その配役は以下・続編の作品についてのもの。同じ編纂者の先生が令和3年に「忠臣蔵と四谷怪談を演じた役者たち」をリリースしたが、この誤記は踏襲されてしまっている。あたしめに聴いてくだされば、わかる範囲でしたらお力になれましたのに……)

註02…おそらく当て推量で書かれたその記述を、もりいは鵜呑みにしてしまっていたので、上映館に赴いた折、タイトルだけしか違わないならマックに寄って軽く腹ごしらえでもしてから途中から観よっかな…などとも思ったが、劇場周辺に店が見つからなかったおかげで頭から観られて、事なきを得た。(名古屋ミッドランドスクエアシネマ「月イチ35mmフィルム上映」2020.3月)


<附言>

ちなみにこの「前編 假名手本忠臣蔵」「後篇 義士始末記」という表記については、公開当時のポスターに準じております。



後篇 義士始末記

作品概要
制作会社 松竹
公開年度 1962年
内蔵助役 市川猿之助
評価 2ツ星
女子の前髪タップリだし島田正吾は総髪だし、壬生義士と間違える人も出そうなポスター。

「後篇」とされる「義士始末記」は、簡単な字幕で前篇のあらましを説明して始まり、踊りの師匠のおかつ=岡田茉莉子にパンダウン。以降、彼女を中心に、およそ仮名手本忠臣蔵とは関係のない話が回り出す。

ご本を執筆当時、本作を未見だとおっしゃっていた谷川健司先生の「忠臣蔵映画の全貌」によれば、この作品の公開当時、松竹は男性スターを次々に失い、女優を全面に打ち出したかったのでは?と予想していたが、ソレたぶん、このあたりから始まってるのではないでしょうか。(松竹は「女優王国」と言われるようになる)

言われてみればこの作品は、ポスターを見ると新国劇の島田正吾演じる荻生徂徠が主役なのだが、内容はほぼ岡田茉莉子のプロモーションフィルムであるかの如き内容なのであります(彼女の演技のバリエーションや舞いなどがフンダン)。


<あらすじ>

今では出世して柳沢吉保のブレーン・徂徠だが、かつてはおかつの舞いを励みにして勉学し、おかつもまた徂徠を父のように慕っていた。

そんなおかつは、実は間喜兵衛が深川芸者に産ませてしまった私生児であるが(喜兵衛さんは出てこないが、とんだ引き合いに出されたものです。)、自分が間家の身内であることは家名のために世間に伏せていた。

おかつをほんとうの姉と慕っていた新六は、胸に秘めた討ち入りのハナシを姉にすることも出来ず「卑怯な腰抜け侍」と軽蔑され、姉弟の縁を切られてしまう。

(これに、ついでのように、別シーンで川津祐介(中村勘助)と岩下志麻(おしま)の仲のいいところもアクセントとして挟まれるが、ストーリーラインに関係ない。売り出したい若手をグイグイねじこんでる。でもポスターで岡田と岩下は同格みたいな扱いでレイアウトされている。註01

で結局、討ち入りはあって、世間は大盛り上がり。おかつは瓦版で弟・新六の参加を知ると自分の浅はかさを悔やむ。

助命嘆願に大勢が大名屋敷に押しかけたり(学生運動のようなモブ)、佐々十郎と芦屋小雁の巡礼の僧侶や、芦屋雁之助や大村崑のかご屋が、通りがかりの神社の団体と、たまたま居合わせた荻生徂徠のそっくりさんを、その場で崇め奉ってみんなで赤穂義士の無事をお祈りするというような怪現象までおこる始末(<書いていてわけわからなくなってきたが、ともかくこのシーン、そこそこタップリある)。

ネタバレしますが

要は、荻生徂徠は歴史(や落語)がしめすとおり、義士には切腹が良いと主張したわけで、結果ほんとに切腹になっちゃって世間が大ブーイングなわけです。

おかつも、大好きだった先生が切腹を主張したと知って大ショック。悪夢(…は彼女の舞いで表現されるが、これもタップリしている)を見たりする。

けど、あとになって弟は、徂徠先生に感謝し、「さむらい冥利。一同深く感謝しいたしおり候」と、武士として喜んで死んでいったと知り、おかつと先生の仲も直ってめでたしめでたし。(すげーいろいろ端折りました。上記エピソードにところどころ、吉良家のリンチに遭う片岡源五右衛門や討ち入りといった、オリジナルで撮ったやつが入る。)


監督も出演者も申し分ないから、部分部分、すごく良いなと思うんだけど、上記のように「ま、こんな説明で、いっか」と思っちゃうような、なんというか大切にしたくなるナニカが足りない作品。

「岡田茉莉子はすごく美人で、もりいのタイプだ!」という以外、あんまりなにも残らない。


決して悪くない、好きな作品だが、助命だろうが切腹だろうが、ともかく誰も彼もが赤穂忠臣義士が好きという徹底した壮大な同調現象を「主役」にしてしまったことが、実際に苦悩したであろう幕閣や学者の存在感を無くしてしまった。このことが本作の厚みに影響している。

仮名手本忠臣蔵の続編としながらも、竹田出雲が後日談を書くならこうだろうな、とかそういう趣向でもない。

当時の超人気テレビ番組のコメディアン(石井均や藤田まことの瓦版屋も出るが、大村崑のシーン同様1シーンのゲストである)のブッコミ方や、岡田茉莉子の踊りのシーンの尺から言っても、この作品自体の軸足の曖昧さがお分かりいただけるかなと思う。

なんで作ったんだろう。

Wikipediaによれば、岡田茉莉子は有馬稲子(本作の瑤泉院)と「二枚看板」と言われているが、オリジナルの「大忠臣蔵」が公開当時は、岡田茉莉子は東宝映画在籍だったので不在だった。註02

その後に松竹と契約し、小津映画などで活躍した岡田(や、新人の岩下)を、松竹がフィーチャーしようという狙いは、ほんとうにあったのかも。


註01…岩下志麻はこの映画公開の前年にデビューしたそうで(とはいえプレスリリースには「トップスター」とうたっている。ちなみに岡田は「人気最高」で島田は「新国劇の王者」)、本作ではほとんど台詞も無いのに、たしかに出てきた3場面は強烈な印象を残す。


註02…いやでも、オリジナル公開当時の1957年は「東宝との契約問題で話題を集めた岡田茉莉子が大映に初出演」と、映画「刃傷未遂」(大映映画)のロビーカードにある。いろいろお転婆なエピソードがありそうですわい。

あーもう、「秋日和」観たくなっちゃったい。見よ。


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