片岡源五右衛門の下男。
討ち入り後、彼の故郷の群馬県でお坊さん音外坊になり、20年余かけて義士の石像47体を作った。
そのあと諸国巡業をしてから千葉の房州和田(浅野大学がそっちのほうで再興してますな)に向西坊という名で現れて、そこで死んで、碑もあるそうです。
赤穂四十七義士石像 〒379-0103群馬県安中市東上秋間岩戸3197
向西坊・入定窟 南房総市和田町花園
岩廂(いわひさし)の下の岩肌を磨崖仏みたいに掘ったという四十七士像。(岩肌とは石質が違うようだが…)
安中市の元助・生誕の地。
元助の供養塔。住んでいた場所。