「元禄忠臣蔵 前篇・後篇」の版間の差分

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[[画像:Isokai.jpg|thumb|役者絵:河原崎国太郎]]
 
[[画像:Isokai.jpg|thumb|役者絵:河原崎国太郎]]
 
情報局国民映画参加作品。真珠湾攻撃の1週間前に封切りされている。  
 
情報局国民映画参加作品。真珠湾攻撃の1週間前に封切りされている。  
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玄人向けで'''かなりハードルが高い'''。
  
 
原作は新歌舞伎「[[元禄忠臣蔵]]」1934。
 
原作は新歌舞伎「[[元禄忠臣蔵]]」1934。
  
松の廊下がオープンセット(に見える)だったりと、セットが意外に豪華。
 
  
新歌舞伎をかなり忠実になぞってるが、忠臣蔵でおなじみのシチュエーションが、ほかの作品では見られない場面表現で工夫され、一風変わってひじょうに斬新。カメラワークや構図、演出も「へー」と思うところあり。
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松の廊下や細川家のお屋敷がオープンセット(に見える)だったりと、セットが意外に豪華。
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ところどころ史実や講話を混ぜてるが、ほとんど原作の新歌舞伎をかなり忠実になぞっている。
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本作品では忠臣蔵でおなじみのシチュエーションが、ほかの作品では見られない場面表現で工夫され、一風変わってひじょうに斬新。カメラワークや構図、演出も「へー」と思うところもあり、おとなっぽい監督が撮ってるなあとも思っていたら、巨匠溝口健二のブレイク前(ですか?)の作品だった。
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ただ、その「見せ方の工夫」はおもに前編に偏ってございまして、後編は「御浜御殿」「南部坂」「大石最後の一日」と原作通り続き、話が進むにつれてどんどんと画面の動きが無くなっていく。
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特徴的なのが「討ち入り」。この映画には原作通り討ち入り場面が無い。ただ、討ち入りがどんなようすだったかは観客に伝えようとする。ここが原作と違うところのだが、じゃあそのようすをどう伝えるかというと、[[阿久里/瑤泉院|瑤泉院]]のところに届いた[[吉田忠左衛門]]からの書状を[[戸田局]]が講釈師ばりに'''朗々と読み上げる'''という方法に打って出る。その間瑤泉院と戸田の局のツーショットが延々と続く。鑑賞者は戸田の「物置のようなところに人の声これあるようにこころづき、[[武林唯七]]、[[間十次郎]]、槍の石突にて戸を打ち破り…」という台詞を聞きながらフムフムとビジュアルをアレコレ想像しなければいけない。
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高いでしょ、ハードル。
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討ち入りのあと、お預けになってる細川家屋敷が舞台の「最後の一日」は見せ場なはずなのだが、ここに来て遂に画面は全編を通じてもっとも動かなくなる。
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[[礒貝十郎左衛門]]のフィアンセ(高峰三枝子が美少女)が男装してまで彼に逢いにくるという原作の映像化なのだが、舞台なら回想シーンといえどいちいち場面転換出来ないから、なんでこの女が男装までして潜り込んできたかのいきさつを会話で処理しなくちゃいけないわけだが、なんとこの映画もそれをなぞっちゃうので画面上は押さえ気味の演技もあいまって淡々としており、相当トシをとってからでないとこの味わいはいささか退屈かもであります。
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「仇討ち」という殺伐としたストーリーをロマンスで締めくくるという、つやっぽい原作は非常に品があってよろしい。しかしこんなにまで「映画的」な演出を避け、淡々と撮ることに徹することに当時の観客は喜んだだろうか??どうも制作意図が読めない。
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じつは監督はイヤイヤ「忠臣蔵」という名代に取りかかってる気さえする。だって討ち入りシーンを台詞で処理するなんて前代未聞だもの。
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この作品の良さがわかってないのかな。あたしがまだ若いのかなー。
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品もあって、きっと頭がいい監督が撮ったんだろうなあとも思っていたら、巨匠溝口健二のブレイク前(ですか?)の作品だった。
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監督のネームバリューもあってか、ストレートには面白いと言えないのだが、そう言っちゃいけないような重みのある映画で、なんとなく星ふたつ。
  
前半は強弱があるのだが後半画面の動きが無くなる。討ち入り(のシーンはこの映画には無い=原作と一緒)後はお預けになってる細川家の屋敷が舞台で、[[礒貝十郎左衛門]]のフィアンセ(高峰三枝子が美少女)が男装してまで彼に逢いにくるという、原作(新歌舞伎[[元禄忠臣蔵]])の「大石最後の一日」の映像化なのだが、オリジナルを知らないとじゃっかん会話が長く感じられる。歌舞伎はオーバーアクションなだけに抑揚があるが、映画はかなり押さえ気味の演技で淡々としており、相当トシをとってからでないとこの味わいはいささか退屈かもであります。
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「仇討ち」という殺伐としたストーリーをロマンスで締めくくるという、つやっぽい展開自体は非常に品があってよろしい。
 
  
 
元禄ヘアスタイルがリアル。
 
元禄ヘアスタイルがリアル。

2010年3月5日 (金) 03:33時点における版

作品概要
制作会社 松竹
公開年度 1941年
内蔵助役 河原崎長十郎
評価 2ツ星


役者絵:河原崎国太郎

情報局国民映画参加作品。真珠湾攻撃の1週間前に封切りされている。

玄人向けでかなりハードルが高い

原作は新歌舞伎「元禄忠臣蔵」1934。


松の廊下や細川家のお屋敷がオープンセット(に見える)だったりと、セットが意外に豪華。

ところどころ史実や講話を混ぜてるが、ほとんど原作の新歌舞伎をかなり忠実になぞっている。


本作品では忠臣蔵でおなじみのシチュエーションが、ほかの作品では見られない場面表現で工夫され、一風変わってひじょうに斬新。カメラワークや構図、演出も「へー」と思うところもあり、おとなっぽい監督が撮ってるなあとも思っていたら、巨匠溝口健二のブレイク前(ですか?)の作品だった。

ただ、その「見せ方の工夫」はおもに前編に偏ってございまして、後編は「御浜御殿」「南部坂」「大石最後の一日」と原作通り続き、話が進むにつれてどんどんと画面の動きが無くなっていく。


特徴的なのが「討ち入り」。この映画には原作通り討ち入り場面が無い。ただ、討ち入りがどんなようすだったかは観客に伝えようとする。ここが原作と違うところのだが、じゃあそのようすをどう伝えるかというと、瑤泉院のところに届いた吉田忠左衛門からの書状を戸田局が講釈師ばりに朗々と読み上げるという方法に打って出る。その間瑤泉院と戸田の局のツーショットが延々と続く。鑑賞者は戸田の「物置のようなところに人の声これあるようにこころづき、武林唯七間十次郎、槍の石突にて戸を打ち破り…」という台詞を聞きながらフムフムとビジュアルをアレコレ想像しなければいけない。

高いでしょ、ハードル。


討ち入りのあと、お預けになってる細川家屋敷が舞台の「最後の一日」は見せ場なはずなのだが、ここに来て遂に画面は全編を通じてもっとも動かなくなる。

礒貝十郎左衛門のフィアンセ(高峰三枝子が美少女)が男装してまで彼に逢いにくるという原作の映像化なのだが、舞台なら回想シーンといえどいちいち場面転換出来ないから、なんでこの女が男装までして潜り込んできたかのいきさつを会話で処理しなくちゃいけないわけだが、なんとこの映画もそれをなぞっちゃうので画面上は押さえ気味の演技もあいまって淡々としており、相当トシをとってからでないとこの味わいはいささか退屈かもであります。

「仇討ち」という殺伐としたストーリーをロマンスで締めくくるという、つやっぽい原作は非常に品があってよろしい。しかしこんなにまで「映画的」な演出を避け、淡々と撮ることに徹することに当時の観客は喜んだだろうか??どうも制作意図が読めない。

じつは監督はイヤイヤ「忠臣蔵」という名代に取りかかってる気さえする。だって討ち入りシーンを台詞で処理するなんて前代未聞だもの。

この作品の良さがわかってないのかな。あたしがまだ若いのかなー。


監督のネームバリューもあってか、ストレートには面白いと言えないのだが、そう言っちゃいけないような重みのある映画で、なんとなく星ふたつ。

(#^o^#)


元禄ヘアスタイルがリアル。

元禄忠臣藏(前篇・後篇) [DVD]

河原崎長十郎 出演, 中村翫右衛門 出演