「八介」の版間の差分

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先代からの奉公人だが、お家の大変の時はすでにリタイアしていた。
 
先代からの奉公人だが、お家の大変の時はすでにリタイアしていた。
  
内蔵助が山科に移り住むという時に暇乞いの挨拶に訪ねていったが内蔵助はもう出るところだったので「旦那様なにとぞ御遺品(おかたみ)を」というと内蔵助は「荷物はみんな積んじゃったからなア」と、彼にお金をあげようとした。すると八助は「身は賤しけれども金銭に望み無し」と泣いて怒ったので、「ごめんごめん、泣くなよ」と、むか〜し江戸に行ったときの隅田川の土手で桜見物する内蔵助と八助の思い出を絵に描いてあげる。([[元禄繚乱]]にもこのシーンは出てくる。)
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内蔵助が山科に移り住むという時に暇乞いの挨拶に訪ねていったが内蔵助はもう出るところだったので「旦那様なにとぞ御遺品(おかたみ)を」というと内蔵助は「荷物はみんな積んじゃったからなア」と、彼にお金をあげようとした。すると八助は「身は賤しけれども金銭に望み無し」と泣いて怒ったので、「ごめんごめん、泣くなよ」と、むか〜し江戸に行ったときの隅田川の土手で桜見物する内蔵助と八助の思い出を絵に描いてあげる。([[元禄繚乱]]の放送第1回目はこの、八助をともに吉原に行く若き内蔵助のシーンから始まるので、あとの別れが効いてくる。)
  
  
いくつかのドラマでは八助は京都の山科でもちゃっかり奉公人をやってたりする。この奉公人は八助ではない時は[[寺坂吉右衛門]]だったりもする。実際は佐六と幸七という人だそうであります。
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いくつかのドラマでは八助は京都の山科でもちゃっかり奉公人をやってたりする。この奉公人は八助ではない時は[[寺坂吉右衛門]]だったりもする。
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実際は佐六と幸七という人だったそうであります。

2013年3月14日 (木) 12:34時点における版

役者絵:関 武志

山科の大石一家の奉公人。下男八介。忠僕八助。下僕勝助。

60歳くらいの白髪頭の頑丈オヤジ。


先代からの奉公人だが、お家の大変の時はすでにリタイアしていた。

内蔵助が山科に移り住むという時に暇乞いの挨拶に訪ねていったが内蔵助はもう出るところだったので「旦那様なにとぞ御遺品(おかたみ)を」というと内蔵助は「荷物はみんな積んじゃったからなア」と、彼にお金をあげようとした。すると八助は「身は賤しけれども金銭に望み無し」と泣いて怒ったので、「ごめんごめん、泣くなよ」と、むか〜し江戸に行ったときの隅田川の土手で桜見物する内蔵助と八助の思い出を絵に描いてあげる。(元禄繚乱の放送第1回目はこの、八助をともに吉原に行く若き内蔵助のシーンから始まるので、あとの別れが効いてくる。)


いくつかのドラマでは八助は京都の山科でもちゃっかり奉公人をやってたりする。この奉公人は八助ではない時は寺坂吉右衛門だったりもする。

実際は佐六と幸七という人だったそうであります。