「吉本オールスター大行進 爆笑!大忠臣蔵」の版間の差分

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{{Cinema|制作=吉本興業|公開=1992|内蔵助=桂三枝|星=2|頃=}}
 
{{Cinema|制作=吉本興業|公開=1992|内蔵助=桂三枝|星=2|頃=}}
  
吉本興業所属のお笑いタレントさんが大勢出てきて忠臣蔵をやる舞台。
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 吉本興業所属のお笑いタレントさんが大勢出てきて忠臣蔵をやる舞台。
  
  
これNHK衛星かなんかでオン・タイムで見た当時(20代)は「ずいぶんダラダラしてるなあ」と思ったが、いま見ると意外にこのダラダラ感が心地よかったりする。(ただ、ビデオ上下巻で見たがたぶん大幅にカットされてると思われる。全4巻ていうのを見ると感想が変わるかも。)
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 これ、NHK衛星かなんかでオン・タイムで見た当時(20代)は「ずいぶんダラダラしてるなあ」と思ったが、いま見ると意外にこのダラダラ感が心地よかったりする。(ただ、ビデオ上下巻で見たがたぶん大幅にカットされてると思われる。全4巻ていうのもあり、それを見たらまた感想が変わるかも。)
  
かなり台詞のしっかりした脚本が用意されてるはずなのだが、誰ひとりとして完璧に台詞を頭に入れてない。自分の役名の読み方を間違えてるものさえいる。例外的に新喜劇メンバーほか数名がそこそこちゃんとしてるが、もしかしたら全体的に「わざとうろ覚え」なのかもしれない。
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 かなり台詞のしっかりした脚本が用意されてるはずなのだが、誰ひとりとして完璧に台詞を頭に入れてない。自分の役名の読み方を間違えてるものさえいる。例外的に新喜劇メンバーほか数名がそこそこちゃんとしてるが、もしかしたら全体的に「わざとうろ覚え」なのかもしれない。
  
というのは、この短縮版をみる限りでは展開が意外にもベーシックなので、仕組まれた笑いが少なく、演者のうろ覚えや悪ふざけがないと喜劇が成立しないのだ。(ちなみに原案、脚本は桂三枝)
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 というのは、この短縮版を見る限りでは展開が意外にも定石どおりなので、仕組まれたギャグ展開が少なく、演者のうろ覚えや悪ふざけがないと、お笑い舞台が成立しないかんじのだ。(ちなみに原案、脚本は桂三枝(現・桂文枝6th))
  
また、見てるこっちの頭にあらかじめ忠臣蔵が入ってれば彼らがどこを間違ったか、なにをふざけてるかが面白いので見ていられるが、ビギナーが見るとただのだらしない舞台に写るかもしれない。あたしが20代の頃見て退屈に感じたのはそのせいもあるだろうと思う。
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 また、見てるこっちの頭にあらかじめ忠臣蔵が入ってれば彼らがどこを間違ったか、なにをふざけてるかが面白いので見ていられるが、ビギナーが見るとただのだらしない舞台に映るかもしれない。あたしが20代の頃に見て、退屈に感じたのはそのせいもあるだろうと思う。
  
  
「オールスター」について言うと、このころは新喜劇は世代交代を模索中で、辻本茂雄はまだ台詞の無い茶坊主や吉良邸用人をやっているのが超もったいなく、藤井隆などはまだ不在。Wコージももっと活躍させればいいのに。ちなみにこの作品でエースに扱われてる看板は清水圭、トミーズやどんきほ〜て(かつみ=バブル時代)といった面子。
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「オールスター」について言うと、このころは新喜劇は世代交代を模索中で、辻本茂雄が台詞の無い茶坊主や吉良邸用人をやっている新人扱いなのが超もったいなく、藤井隆などはまだ不在。Wコージももっと活躍させればいいのに…。ちなみにこの作品でエース級に扱われてる看板は、清水圭、トミーズやどんきほ〜て(かつみ=バブル時代)といった面子である。<small>(註釈01)</small>
  
不破数右衛門役に西川のりおが当てられてるが、あまりにいいキャスティングなんでうれしかった(彼は[[TAKECHANマン忠臣蔵|タケちゃんマン忠臣蔵]]でも不破)。が、彼の暴走が芝居を止めると判断されてかまったく出番がないのが惜しかった。(もしくはカットされてる?)
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 いっぽう、[[不破数右衛門]]役に西川のりおが当てられてるが、あまりにいいキャスティングなんでうれしかった(彼は[[TAKECHANマン忠臣蔵|タケちゃんマン忠臣蔵]]でも不破)。が、彼の暴走が芝居を止めると判断されてかまったく出番がないのが惜しかった。(もしくは、このビデオ上下巻版ではカットされてる?)
  
  
全員が関西芸人(関東陣の才能が頭角を現すのにはもう10年待たなければならない)なので、普通は関西が舞台でも標準語の忠臣蔵が、江戸を舞台しても関西弁と言う逆転現象が起こってる。
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 見たところ全員が関西よしもと芸人(この年にボキャブラ天国が始まり、銀座7丁目劇場ができるのはこの2年後。2001年にルミネtheよしもとが出来て関東陣の才能がすっかり頭角を現すまでに、この公演からもう10年ほど待たなければならない。)なので、普通は関西が舞台でも標準語の忠臣蔵が、江戸を舞台しても関西弁と言う逆転現象が起こってる。<small>(註02)</small>
  
 
(もっとも文楽だと、そもそも全部大阪弁ですが)
 
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2018年春、朝ドラ「わろてんか」を見てここにアクセスしてくる人が増えたが、戦時中の吉本(忠臣蔵)映画についてはこちらです。>「[[元禄あばれ笠〜浪曲忠臣蔵より〜]]」
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註01…この舞台は、よしもとの会長・大崎氏(2021現在)が2丁目劇場支配人から新喜劇の担当になったころの時代で、今田耕司氏に言わせると「ちょうど新喜劇が一番大変な時期」。東野幸治はこの頃、吉本興行をやめて植木屋になりたいと言っていたそうである。(出典:2021.2.21放送「伯山カレンの反省だ!」)
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新喜劇について考えると、1989年、「1年間に20万人の動員がなかったら、解散」をうたっていた吉本新喜劇の「やめよッカナ?キャンペーン」の中で、看板だったベテランの花紀京や岡八郎も辞めてしまい、木村進は大病を患って半身不随。そこへ、ダウンタウンの東京進出で、大阪に置いてけぼりにされた、20代の今田耕司、東野幸治、板尾創路、ほんこんらを座長に副えて試行錯誤していたのだが、ここで「吉本新喜劇 ギャグ100連発」なるビデオを全国発売し、これがスマッシュヒットの成功。その後、1991年にチャーリー浜の「〜じゃ、あ〜りませんか」が流行語大賞になるなど、東京での肌感覚では、このころから、上記の「大変な時期」から、いろいろ息を吹き返したイメージがある。
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なので、ダウンタウンの東京進出や、新喜劇の復活の兆しがあって、なんとなく活路を見いだしての、この舞台だったのではなかったろうか。
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註02…この舞台の27年後、やはり吉本主導で大阪弁忠臣蔵の映画「[[決算!忠臣蔵]]」が公開される。
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[[Category:くすおの忠臣蔵作品評|1992]]
 
[[Category:くすおの忠臣蔵作品評|1992]]

2022年3月14日 (月) 07:10時点における最新版

作品概要
制作会社 吉本興業
公開年度 1992年
内蔵助役 桂三枝
評価 2ツ星


 吉本興業所属のお笑いタレントさんが大勢出てきて忠臣蔵をやる舞台。


 これ、NHK衛星かなんかでオン・タイムで見た当時(20代)は「ずいぶんダラダラしてるなあ」と思ったが、いま見ると意外にこのダラダラ感が心地よかったりする。(ただ、ビデオ上下巻で見たがたぶん大幅にカットされてると思われる。全4巻ていうのもあり、それを見たらまた感想が変わるかも。)

 かなり台詞のしっかりした脚本が用意されてるはずなのだが、誰ひとりとして完璧に台詞を頭に入れてない。自分の役名の読み方を間違えてるものさえいる。例外的に新喜劇メンバーほか数名がそこそこちゃんとしてるが、もしかしたら全体的に「わざとうろ覚え」なのかもしれない。

 というのは、この短縮版を見る限りでは展開が意外にも定石どおりなので、仕組まれたギャグ展開が少なく、演者のうろ覚えや悪ふざけがないと、お笑い舞台が成立しないかんじのだ。(ちなみに原案、脚本は桂三枝(現・桂文枝6th))

 また、見てるこっちの頭にあらかじめ忠臣蔵が入ってれば彼らがどこを間違ったか、なにをふざけてるかが面白いので見ていられるが、ビギナーが見るとただのだらしない舞台に映るかもしれない。あたしが20代の頃に見て、退屈に感じたのはそのせいもあるだろうと思う。


「オールスター」について言うと、このころは新喜劇は世代交代を模索中で、辻本茂雄が台詞の無い茶坊主や吉良邸用人をやっている新人扱いなのが超もったいなく、藤井隆などはまだ不在。Wコージももっと活躍させればいいのに…。ちなみにこの作品でエース級に扱われてる看板は、清水圭、トミーズやどんきほ〜て(かつみ=バブル時代)といった面子である。(註釈01)

 いっぽう、不破数右衛門役に西川のりおが当てられてるが、あまりにいいキャスティングなんでうれしかった(彼はタケちゃんマン忠臣蔵でも不破)。が、彼の暴走が芝居を止めると判断されてかまったく出番がないのが惜しかった。(もしくは、このビデオ上下巻版ではカットされてる?)


 見たところ全員が関西よしもと芸人(この年にボキャブラ天国が始まり、銀座7丁目劇場ができるのはこの2年後。2001年にルミネtheよしもとが出来て関東陣の才能がすっかり頭角を現すまでに、この公演からもう10年ほど待たなければならない。)なので、普通は関西が舞台でも標準語の忠臣蔵が、江戸を舞台しても関西弁と言う逆転現象が起こってる。(註02)

(もっとも文楽だと、そもそも全部大阪弁ですが)


<附言>

2018年春、朝ドラ「わろてんか」を見てここにアクセスしてくる人が増えたが、戦時中の吉本(忠臣蔵)映画についてはこちらです。>「元禄あばれ笠〜浪曲忠臣蔵より〜




註01…この舞台は、よしもとの会長・大崎氏(2021現在)が2丁目劇場支配人から新喜劇の担当になったころの時代で、今田耕司氏に言わせると「ちょうど新喜劇が一番大変な時期」。東野幸治はこの頃、吉本興行をやめて植木屋になりたいと言っていたそうである。(出典:2021.2.21放送「伯山カレンの反省だ!」)

新喜劇について考えると、1989年、「1年間に20万人の動員がなかったら、解散」をうたっていた吉本新喜劇の「やめよッカナ?キャンペーン」の中で、看板だったベテランの花紀京や岡八郎も辞めてしまい、木村進は大病を患って半身不随。そこへ、ダウンタウンの東京進出で、大阪に置いてけぼりにされた、20代の今田耕司、東野幸治、板尾創路、ほんこんらを座長に副えて試行錯誤していたのだが、ここで「吉本新喜劇 ギャグ100連発」なるビデオを全国発売し、これがスマッシュヒットの成功。その後、1991年にチャーリー浜の「〜じゃ、あ〜りませんか」が流行語大賞になるなど、東京での肌感覚では、このころから、上記の「大変な時期」から、いろいろ息を吹き返したイメージがある。

なので、ダウンタウンの東京進出や、新喜劇の復活の兆しがあって、なんとなく活路を見いだしての、この舞台だったのではなかったろうか。


註02…この舞台の27年後、やはり吉本主導で大阪弁忠臣蔵の映画「決算!忠臣蔵」が公開される。