「堀内伝右衛門」の版間の差分

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堀内伝右衛門【ほりうち でんえもん】…細川家の家臣。吟味奉行。赤穂義士びいき。
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[[画像:Denemon.jpg|thumb|役者絵:田中春男]][[画像:Den esan.jpg|thumb|熊本県・山鹿の伝右衛門夫婦の墓]]
  
討ち入り後、[[大石内蔵助|内蔵助]]ほか17名を細川家で預かった際の世話係。
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堀内伝右衛門【ほりうち でんえもん】…細川家の家臣。吟味奉行。物頭役。赤穂義士びいき。58歳。
  
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討ち入り後、翌・元禄16年2月の切腹執行まで、細川家で[[大石内蔵助|内蔵助]]ほか17名を預かった際の、19人の接伴役のひとり。
  
「元禄繚乱」では新コロンボの声の石田太郎が演じた。「世間じゃ大評判ですぞ」とか言いながら内蔵助の足の爪を切ってあげたりしていた。
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細川の殿様は浅野びいきなので預かりの費用は細川家の自腹にもかかわらず、初日からフルコースを出したりするので逆に義士たちから遠慮される。
  
「[[大忠臣蔵(NET)|ミフネ版大忠臣蔵]]」では志村喬が演じたが内蔵助の三船敏郎と一緒にいるシーンでもツーショットがなかなか無いので「別撮り?」と思ったが最後に1カットだけ出てきた。二人そろったシーンにはお金がかかるとか、なんかそういう映画界的な取り決めでもあったのだろうか。
 
  
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堀内伝右衛門もひとりの侍として義士の行動に感動し、任務としてでなく積極的に彼らに接し、後世のためにインタビュー記事をまとめようと思った。
  
お預けになったメンバーとのもろもろを著書「堀内伝右衛門筆記」に記している。
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「預かりの罪人とそうベタベタするな」と家老から怒られるが反発し、自身の判断で手紙のお使いや飛脚の手配をするなどしてつくす。
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みんなの寝床に屏風をしつらえる配慮もしたが、[[冨森助右衛門]]のところにニワトリの親子の絵が描いてあり、彼は自分の二歳の子供を思い出して泣いてしまう。堀内は、この冨森助右衛門の子供や母親に慰問に出かけたりして「きっとご赦免ですよ」と声をかけて回った。
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冨森からは「みんなの亡骸は泉岳寺の空き地にまとめて埋めてほしい」ということづけも受ける。
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(堀内伝右衛門物語 講釈師:若林鶴雲 作。 この逸話は「元禄快挙録」(福本日南 著)にある。)
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「[[元禄忠臣蔵]]」最終章では、細川家に幽閉されている[[礒貝十郎左衛門]]に会いたがってるフィアンセを案内するキーパーソンで、その映画版「[[「元禄忠臣蔵 大石最後の一日」より 琴の爪|琴の爪]]」では磯貝役の坂田藤十郎(4th)のお父さんである中村鴈治郎 (2nd)が演じた。
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「[[元禄繚乱]]」では新コロンボ、カリオストロ伯爵の声の石田太郎が演じた。「世間じゃ大評判ですぞ」とか言いながら内蔵助の足の爪を切ってあげたりしていた。
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「[[赤穂浪士(テレビ朝日)]]」などのように、日ごろのもてなしのお礼にと、メンバーから芸を見せてもらうこともある。
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「[[大忠臣蔵(NET)|ミフネ版大忠臣蔵]]」では志村喬が演じたが内蔵助の三船敏郎と一緒にいるシーンでもツーショットがなかなか無いので「別撮り?」と思ったが最後に1カットだけあった。二人そろったシーンにはお金がかかるとか、なんかそういう映画界的な取り決めでもあったのだろうか。
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お預けになったメンバーとのもろもろを著書「堀内伝右衛門覚書」(堀内伝右衛門筆記と言ってる講談本もあった)に記している。
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伝右衛門は切腹の日近く、義士達から遺髪をもらいうけ、退職後、遺髪を知行地である熊本県・山鹿へ持ち帰り、菩提寺である日輪寺に遺髪塔を建て、現在も守り継がれている。
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* [http://blog.kusuya.net/?day=20180709 忠臣蔵ブログ「きゅうしゅう忠臣蔵」(山鹿)]

2019年3月19日 (火) 22:45時点における版

役者絵:田中春男
熊本県・山鹿の伝右衛門夫婦の墓

堀内伝右衛門【ほりうち でんえもん】…細川家の家臣。吟味奉行。物頭役。赤穂義士びいき。58歳。

討ち入り後、翌・元禄16年2月の切腹執行まで、細川家で内蔵助ほか17名を預かった際の、19人の接伴役のひとり。

細川の殿様は浅野びいきなので預かりの費用は細川家の自腹にもかかわらず、初日からフルコースを出したりするので逆に義士たちから遠慮される。


堀内伝右衛門もひとりの侍として義士の行動に感動し、任務としてでなく積極的に彼らに接し、後世のためにインタビュー記事をまとめようと思った。

「預かりの罪人とそうベタベタするな」と家老から怒られるが反発し、自身の判断で手紙のお使いや飛脚の手配をするなどしてつくす。


みんなの寝床に屏風をしつらえる配慮もしたが、冨森助右衛門のところにニワトリの親子の絵が描いてあり、彼は自分の二歳の子供を思い出して泣いてしまう。堀内は、この冨森助右衛門の子供や母親に慰問に出かけたりして「きっとご赦免ですよ」と声をかけて回った。

冨森からは「みんなの亡骸は泉岳寺の空き地にまとめて埋めてほしい」ということづけも受ける。

(堀内伝右衛門物語 講釈師:若林鶴雲 作。 この逸話は「元禄快挙録」(福本日南 著)にある。)


元禄忠臣蔵」最終章では、細川家に幽閉されている礒貝十郎左衛門に会いたがってるフィアンセを案内するキーパーソンで、その映画版「琴の爪」では磯貝役の坂田藤十郎(4th)のお父さんである中村鴈治郎 (2nd)が演じた。

元禄繚乱」では新コロンボ、カリオストロ伯爵の声の石田太郎が演じた。「世間じゃ大評判ですぞ」とか言いながら内蔵助の足の爪を切ってあげたりしていた。

赤穂浪士(テレビ朝日)」などのように、日ごろのもてなしのお礼にと、メンバーから芸を見せてもらうこともある。

ミフネ版大忠臣蔵」では志村喬が演じたが内蔵助の三船敏郎と一緒にいるシーンでもツーショットがなかなか無いので「別撮り?」と思ったが最後に1カットだけあった。二人そろったシーンにはお金がかかるとか、なんかそういう映画界的な取り決めでもあったのだろうか。


お預けになったメンバーとのもろもろを著書「堀内伝右衛門覚書」(堀内伝右衛門筆記と言ってる講談本もあった)に記している。


伝右衛門は切腹の日近く、義士達から遺髪をもらいうけ、退職後、遺髪を知行地である熊本県・山鹿へ持ち帰り、菩提寺である日輪寺に遺髪塔を建て、現在も守り継がれている。