大江戸千両祭
柳家金語楼の芸能生活50週年を記念して作られた映画。
「文七元結」や「穴どろ」など落語のエピソードをおりまぜながら大工・金兵衛(金語楼)と娘のお蝶(八千草薫)の長屋のエピソードをえがく時代劇。
エノケンやロッパ、徳川夢声、伴淳アチャコやミヤコ蝶々×南都雄二など当時のおなじみの名だたる喜劇人が友情出演的にちょっぴりずつ顔を出しており、お祝いのためにこれだけ集まったのかと思うとなかなかな金語楼の人柄がうかがえる。
無筆の金兵衛が、娘が安心して嫁げるように字を習いに行くのが、謎の浪人・栗田陣内(小泉博)。実は・・
冒頭からまったく「その要素」が無いために、まさかストーリーに討ち入りが絡むとは夢にも思わず、忠臣蔵ファンにはうれしいサプライズとなっている。
全体のもう五分の一ほどで映画が終わろうかという時になって栗田が「私はいつなんどきここを立ち去らんとも限らん。それでも手習いは続けろよ」などと言い出し、これが金語楼がお歳暮に徳利をぶら下げてきた季節と、そこにたまたま顔を出した煤竹売りが「大高」という名前であることから「アレ!?これってまさか」と思う。
見せ場としてラストに討ち入りと引き揚げが用意されている。
ことわりもなしにソッと(そして唐突に)ストーリーに忠臣蔵をしのばせていたって、そんな構成が許されちゃうほど、忠臣蔵はまるで季節の風物詩のように大衆にはあたりまえだったのだなあと当時を思う。
また、ちゃっかりと長屋の日常に溶け込んでいるレジスタンスの存在は、作家にとって魅力であり使い勝手の良い素材のようだ。
娘に内緒で猛勉強していた金兵衛が字が読み書きできるようになるシーンはなかなか感動する。
そうしてめでたくお蝶の結婚式になるのだが、婚礼の席でエノケンが「お前さんは子供の時分から舞台に立ってるんだから…」というようなコメントをしはじめ、その場が急に芸能生活50周年のお祝いとダブりだし、最終的に金語楼が観客に向かって(カメラ目線で)抱負を述べて映画は幕を閉じる。
出ている人たちはみんな楽しいし、八千草薫がめちゃくちゃかわいいし、食事中でも病床でも楽しく呑気に見られる作品。
<附言>
台本を取り寄せて見てみたら、ラストの、エノケンのフリに金語楼が応えるようにしてカメラ目線で挨拶するシーンは無く、金語楼がでっかい筆で「寿」と書いて、ちゃんと祝言のシーンとして映画が終わることになっているから、きっとあとから誰から言うともなく、せっかくめでたいんだからと金語楼に挨拶させようよ、という流れになったのだろう。
ちなみに、台本段階では、読み書きの手ほどきをするのは、大高源五ではなく不破数右衛門になっており、指南ぶりがいささかワイルドでスパルタ先生になっている。。
監督・青柳信雄