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大石内蔵助

2,827 バイト追加, 2009年12月20日 (日) 21:56
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[[画像:kannzabu2.jpg|thumb|役者絵:中村勘三郎]]
忠臣蔵の主人公。大石内蔵助【おおいし くらのすけ】…忠臣蔵の主人公。
討ち入りのリーダー。絵がうまい。剣術は東軍流。おんな好き。
 
兵庫県、播州赤穂藩・赤穂本社勤務の重役(講談やドラマでは城代家老、筆頭家老。でも国家老上席。)
== エピソード ==
 
兵庫県、播州赤穂藩・赤穂本社勤務の重役(講談やドラマでは城代家老、筆頭家老。でも国家老上席。)
自分ところの[[浅野内匠頭|殿様]](社長)が江戸で[[吉良上野介|上司]]を刃物で斬りつけたことで会社は倒産。殿様は即日切腹。
どうしようか考えあぐねた結果、仲間と一緒に事件のきっかけになった内匠頭の上司だった人を殺しにいく(刃傷事件からおおよそ1年10ヶ月後)。
 
== じゃっかんつっこんだエピソード ==
 
元禄14年3月18日23時頃、内蔵助の屋敷に早駕籠が江戸から宙を飛んできた。乗っていたのは[[早水藤左衛門]]と[[萱野三平]]。彼らが持ってきたのは江戸城中で[[浅野内匠頭|殿様]]が傷害事件を起こしてしまったというニュース。その後続報を[[原惣右衛門]]と[[大石瀬左衛門]]が持ってきて、とにかくだしぬけに'''殿様切腹、家は断絶、殿様のケンカの相手はおとがめナシ'''と聞いて、城は悲憤慷慨。
 
内蔵助はまず退職金を藩士達に分配。ここで不忠者は抜けた。内蔵助、去る者は追わず。最後の評定の時は士分だけで536人いたのがたった56人になっていた(この数字、講談の数字ですのでフィクションです)。ここで内蔵助は初めて復讐のことを申し出た。
 
起請文をしたため、一同これに血判の上赤穂城を明け渡した。
 
5月22日残務が終わった内蔵助はホッとしたのか腕に腫れの病を発病。その後京都山科村に引っ越した。
 
山科での内蔵助は高利貸しをしたり伏見、墨染、撞木町で太夫、幇間に取り巻かれ遊興三昧をした。周囲は彼のそんな姿を見て「犬侍ちくしょう武士」とあだ名した。しまいには「遊女を身請けするから」と言って妻の[[大石りく|よし]]を離別し実家に返す。しかしこれは敵を欺く計略だったのであります。
 
その後二条寺町のほとり、二文字屋の[[お軽]]という娘を妾にする。[[千坂兵部]]が放った吉良上杉の間者も「妾までおくようではもう大丈夫」と安心した。敵の目をあざむくと同時に江戸にいる急進派、[[堀部安兵衛]]たちもいきりたたせた。
 
11月に一度江戸下向して急進派の安兵衛たちと会い、暫定的に「殿の命日3月に決行」と取り決める。(江戸会議)
 
翌・元禄15年、約束の期日が過ぎても内蔵助は動かなかった。
 
これまで殿様の後釜に引っ張り出そうとしてた[[浅野大学|弟君]]が7月になって「広島の本家にお預け」と決定。内蔵助は遂に、京都円山(まるやま)に上京中の安兵衛たちも呼び、討ち入り決行をメンバーに告げる。(円山会議)
 
いよいよ10月07日京都出立。[[垣見五郎兵衛]]と名を変えて江戸下向。川崎・平間村に到着し、同士が代わる代わる内蔵助を訪ねて密議を重ね、その後は江戸・日本橋、石町三丁目の小山屋弥兵衛の店を借りて潜伏した。
*[[大石無人]]/[[大石三平]](遠縁)
*[[千坂兵部]](好敵手)
*[[天野屋利兵衛]](支援者)(武器調達の支援者)*[[垣見五郎兵衛]]/[[立花左近]](支援者)(バッタリ会った支援者)
*[[吉良上野介]](会ったことも無いカタキ)
[[Category:四十七士|おおいしくらのすけ]]

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