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山鹿素行

1,668 バイト追加, 2018年9月29日 (土) 20:54
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[[画像:Yamaga.jpg|thumb|赤穂城跡のそばの銅像]]
[[画像:R0012196.JPG|thumb|東京・牛込にあるお墓]]
山鹿素行【やまが そこう】…赤穂藩士の教育などを行った軍学の先生。儒学者。
三代将軍・家光の師範だったが、家光の死後、赤穂の浅野長直のオファーで一千石で藩に学問師範として迎えられ、8年間軍学や儒学を教えた。三代将軍・家光の師範だったが、家光の死後、赤穂の浅野長直のオファーで一千石で藩に学問師範として迎えられ、8年間軍学や儒学を教えた。(もともと内匠頭のおじい様と師弟関係で、赤穂で仕えていた経験がある。)
その後退職し、江戸に出て民間の学者となる。
そこで反政府的なことを説いて、お上から目を付けられ、赤穂に流刑を言い渡される。
[[大石内蔵助]]は若い時、山鹿先生を江戸から護送したことで高名になった(<この部分、浪曲「山鹿護送」)。は若い時、山鹿先生を江戸から護送したことで高名になった(<この部分、浪曲「山鹿護送」「山鹿送り」。実際は配流されたとき内蔵助8歳w。)。
討ち入りの時に[[大石内蔵助|内蔵助]]が陣太鼓たたいて、眠ってた吉良邸の用人がガバッと起きて耳を澄まし「一打ち二打ち、三流れ…アレは山鹿流の陣太鼓!?」って言ってそばの刀もって飛び出して行くときの「山鹿流の陣太鼓」てのがこの先生流の、という意味。「山鹿流の」って知ってて当たり前みたいに言ってるわりには実在しないので、'''ドラマによってリズムとかまちまち'''です。です。(「七つ七つ三丁陸六つ天地人の乱拍子」というのもある。「[[槍一筋日本晴れ]]」)
ドラマに本人が出てくることはまず無いが、とにかく劇中に名前はよく出てくる。ドラマに本人が出てくることはまず無い(厳密には「[[元禄繚乱]]」のように時を大きくさかのぼった作品に登場しないこともないが、「山鹿護送」のような大きな扱いでは出てこない。)が、とにかく劇中に名前はよく出てくる。    == 山鹿流陣大鼓バリエーション == * 「[[忠臣蔵 地の巻/天の巻]]」(1938)どんどんどん、どんどんどん、どんどんどん、どんどんどんどんどんどんどん、… * 「[[忠臣蔵(大映)]]」(1958)'''どぉん'''、どん、どん、どんどんどん'''どぉん'''どんどんどんどん'''どぉん'''どんどん'''どぉん'''どんどん… * 「[[忠臣蔵 桜花の巻 菊花の巻]]」(1959)どん!どんどんどんどんどんどんどん!どんどんどんどんどん、… * 「[[赤穂浪士]]」(1961)どんどんどんどんどんどんどん、どんどんどんどんどん、 * 「[[忠臣蔵 花の巻雪の巻]]」(1962)(太鼓無かった…) * 「[[年末時代劇スペシャル 忠臣蔵|里見版]]」(1985)どん!どん!<small>どんどんどんどん</small>…どんどん<small>どんどんどんどん</small>… * 三波春夫「元禄名槍譜 俵星玄蕃」どん!<small>どんどんどんどん</small>どん!<small>どんどんどんどん</small>…  
* [[浅野内匠頭]](教え子)
* [[大石内蔵助]](山鹿護送)
 
 
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画像:soko_senseni_b.jpg|thumb|米沢にある生誕地の碑。
画像:Yamaga.jpg|thumb|赤穂城跡のそばの銅像。
画像:R0012196.JPG|thumb|東京・牛込にあるお墓。
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