年末時代劇スペシャル 忠臣蔵
作品概要 | |
制作会社 | 日本テレビ |
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公開年度 | 1985年 |
内蔵助役 | 里見浩太朗 |
評価 |
ひじょうにわかりやすい。定番のTVサイズのお茶の間時代劇。もしかするとビギナー向けナンバー・ワン。
当時、テレビドラマ「長七郎江戸日記」で活躍中の里見浩太朗(当時49歳)(註01)を、大石内蔵助に立てて、紅白歌合戦の裏番組で討ち入り、まんまと大健闘。以後「白虎隊」「田原坂」「五稜郭」と、里見浩太朗主演で毎年、年末企画として続いた。
アングルやカット割り、もしくは無言の表情や間合いで人物の感情を表現するというよりは、キャラに何かよけいなことをさせて状況をわかりやすく伝えようとするシーンが多いのが特徴。
たとえば大評定の前に内蔵助はひとり、土蔵の中にこもって殿の形見の火事装束と向かい合い「殿!それがしは一体どうすれば!?」とブツブツやってたり(註02)、垣見五郎兵衛との会見も、垣見は白紙の目録を見るだけでなく荷物の蓋も開けるし、ふすまガラッと開けて向こうの浪士達に挨拶しちゃう。赤埴源蔵は義姉の部屋の前までドカドカ入って来てしまうし、羽織相手の会話も口数が多い。などなどちょっと、わびさびに欠ける。
あと、な〜んか、カメラ割りが安いというか、へんなドアップが多く、明らかにルーズで撮ったほうが良さげなカットが散見。あわてて作ったのか、どっか粗い。
(能村康一氏「実録テレビ時代劇史」によると、最初1年の連ドラのはずだったのが「紅白の裏の特番」とされてスタッフは相当ガッカリしたというから、どこか捨て鉢になっていたかもである。)
上記のセンスや、時折入ってくる堀内孝雄さんの主題歌のかもす雰囲気など、全体ははなはだ垢抜けないかんじだが、それでも意外にもこの「ゆるさ」「野暮ったさ」がお茶の間に受け入れられてか視聴率がたいへん健闘し、いまだに人気が高い。
同世代でこの作品がキッカケで忠臣蔵のファンになったという人がすごく多い。たしかに無駄が無く、たくさん忠臣蔵を見たあとにあらためて見ると、セリフに印象的なものも多く構成力が実にそつがない。(脚本は杉山義法先生)
ほかではあんまり陽のあたらないエピソードや、キャラの相関関係に注目してるのも特徴で、お茶の間の時代劇ファンだけでなく、史実に詳しい人にもいろいろ楽しいようです。
吉良上野介に対する敬意とも言える「最後」のアレンジ演出(とどめを刺される前に吉良は四十七士の前で能を舞う)は、吉良役のモリシゲ自らたっての希望、とワイドショーが言ってたのを放送当時に見た記憶がある気がする。(註03)
ちなみに、現在に至るまでこのアレンジは、賛否両論。
話は変わりますが、この頃の若手ってヘッタクソな人多いっすねえ!素人がもてはやされた時代だからかなあ。
註01…この「忠臣蔵」の放送が終わって夜が明けると、里見は芸能生活30周年だった。「長七郎」モノや「水戸黄門」の助さん役の「マンネリを防ぐカンフル剤になれば」と意気込み、役作りに食事の量を倍にして貫禄づくりにはげんだら、脂肪肝になってしまったという。(TVガイド 1985年12/21-27号)
註02…里見浩太朗は、オリジナリティあふれるこのシーンにおいて、蔵の中に入る時と出てきた時で顔がまったく違っている、そうした大石の心情の変化に=大スターの魅力そのもので魅せていた時代とは違うというところに、注目をしてほしいと言っている。(TVガイド 1985年12/21-27号)
註03…当時、脚本を担当した杉山義法先生のスクリプトスーパーバイザーをお勤めになられた、実弟の杉山義光先生によると、この記憶は正しくて「森繁さんの首根っこおさえて、誰がどう引きずりだしたらいいものか。」と、「モリシゲの扱い」が現場で議論になったという。
四十七士の刃の先は幕府に向いているのであって、あくまで高家筆頭の格には抗うつもりはない。というようなコンセプトも考慮し「じゃあ京畳なら小さいし用意も簡単だろうから2枚並べりゃ花道みたいになるだろう。それで「敦盛」…。あとはまかせる」おおむねこうした意見が森繁から出たのだという。
江戸時代、当時法律で禁止&野卑なイメージとされていた「ヒゲ」を、朝幕の間で働く高家筆頭が生やしてるわけがないのに、森繁御大に対して、誰も「剃ってくれ」と言えなかったことからも、現場の緊張がうかがい知れる。
ついでだが、恨みつらみばかりを強調しなかった例として、討ち入り後の再就職を意識した毛利小平太の台詞もあったそうで、安兵衛がおじさんの助太刀で仕官できた話を引っ張りだして希望に胸踊らせるシーンだったそうだが、「齋藤武市監督がはずしちゃった」そうである。(以上 2021年3月14日お電話にて)