忠臣蔵 暁の陣大鼓
作品概要 | |
制作会社 | 松竹 |
---|---|
公開年度 | 1958年 |
内蔵助役 | (市川寿海) |
評価 |
ガチッとした作りの安兵衛ものがたり。モノクロ。
主役を演じるのは当時のホープ俳優、森美樹。彼はこの数年後に、若くしてガス中毒で亡くなったそうだが、この作品の公開年周辺はコンスタントに年に5〜6本映画に出ており、松竹のチカラの入れようがわかる。
彼のイケメンで大柄な安兵衛は、ダイナミックで好感度が高い。
新発田藩時代〜討ち入りまでを見つめ続ける、意外に珍しいロングスパンのストーリーライン。(新発田時代が、とっくに元服した立派な侍となってる)
たいがい安兵衛を主役に立てる場合は、高田馬場を含めたケンカ安のハナシが山場として映像化される。ゆとりがあれば、堀部家に婿入りするところで終わる。
これは、もちろん尺の問題が一番だろうが、浪人時代と仕官時代では周辺のテーマや事情、キャラクターがまるっきり変わって、二部構成になってしまい、作品として一貫性がなくなるので仕方がない。本作品の場合は浅野家時代のエピソードをすっぽり抜いて(BGMのみの松の廊下シーン〜前年公開の「大忠臣蔵」から抜粋してモノクロに修正したもの〜に字幕ベースの説明が一瞬あるだけ)、仕官の前後に焦点を置き、安兵衛の「浪人時代だけ」をキープすることで、ビジュアル的に観客を煙にまかない工夫をしている。
ただ、それだと前半クライマックスで結ばれた、弥兵衛やお幸との新生活はどうしてくれるの?てことになるわけだが、本作品の安さんは堀部と「離縁状態」となる。トホホ〜!
オイオイオイ!そりゃねえだろう!と思うところだが、そもそもこの作品は、森美樹と髪結屋の瑳峨三智子とのラブストーリーに眼目を置いているのでしょうがないのであります(コレ大事)。「二人を見つづけるための映画」。(ちなみに、この二人はプライベートでも熱愛関係にあったという。)
というわけで、どうあっても森美樹を長屋に住まわせて、瑳峨三智子と一緒にいさせたいばっかりに、前半のケンカ安時代は軽妙で超おもしろく呑気に見ていられるものの(生真面目な安さんが呑んべえ安になるきっかけもスムーズ。)、御家断絶のあと、町人(!)に身をやつして過去に住んでいた長屋に舞い戻って嵯峨との同棲生活(しかも、ヒモ=文字通り髪結屋の女房)…と、なってくると、やはり展開もじゃっかん超不自然だし、キャラもぶれて、忠臣蔵物としてはトーンダウン。
ふだんなら史実でも、たいがいの映画やドラマでも、内蔵助に討ち入り決行をせっつく急進派の安さんが、本作のように周囲から「仇討ちをやらないのかい、ケッ」とさげすまれる「ニート町人」の安さんになってしまっては、キャラの魅力が欠ける。(<イデオロギーの違う、大石内蔵助の浮気や離縁を安さんにトレースしたのが間違い。ちなみに辞世も内蔵助のパクリになっている。)
だからこれについても、そんなかわいそうな森美樹を瑳峨三智子があたためてあげるのを御覧じろ、というのがこの作品の狙いなのでしょうがない。
なんだかんだ言っても映画全体は面白くまとまっており、気楽な一本。
あと、森さんの殺陣(たて)がうまくないのだが、ご当人が得意じゃないのか、監督(倉橋良介)の演出のせいか、殺陣師が二刀流の振り付けが不得手だったのか不明。
討ち入りのとき、助成で両国橋で単身闘う(相手はどこの誰か、わかんない侍たち)、俵星玄蕃(近衛十四郎)のシーンのほうがたっぷりしてたりする。笑
(附言)
2021年6月現在、Wikipediaに載ってないが、若き林与一氏が引き揚げシーンで大石主税として参列している。セリフは「ハイ」のみ。銀幕デビュー作品かもしれない。