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携帯忠臣蔵〜世にも奇妙な物語 映画の特別編〜

969 バイト追加, 2018年1月17日 (水) 05:28
編集の要約なし
チョンマゲの世界に携帯電話、という絵柄が思い浮かんだ時点で「なんとなく面白そう〜」と満足して思考停止してしまったのではあるまいか。
この作品を助けてるのは中井貴一の孤軍奮闘。そして、絵作りもきれいだし、音楽や編集の仕方など、周囲はコレをおもしろくしようと努力されてるし、うまくいってる。だからネット上のレビューでこの映画を「面白い」と言ってるコメントを見ると、まさにだいたいこの「着想」と「雰囲気」と中井貴一だけが評価されている。この作品を助けてるのは中井貴一の孤軍奮闘。そして、絵作りもきれいだし、音楽や編集の仕方など、周囲はコレをおもしろくしようと努力されてるし、うまくいってる。だからネット上のレビューでこの映画を「面白い」と言ってるコメントを見ると、まさにだいたいこの「着想」と「雰囲気」と「中井貴一」が評価されてるのが簡単に見つかる。
しかしお話のほうが設定、ギャグ、ストーリーに、まったく特筆すべき点がない。
そんなに辛い言い方をしなくても、もともと視聴者の要求レベルが高くない「世にも奇妙…」なんだし大目に見ても、なのだが、情報戦である討ち入り計画に携帯という必殺道具が浪士側に手に入るのだから、忠臣蔵ファンとしてはタイトルだけ聞いた時点でいろいろ想像力をかきたてられワクワクするが、脳内ストーリーのほうがあまりにも本編より面白いので、実際見るとその「行き届かなさ」がそんなに辛い言い方をしなくても、もともと視聴者の要求レベルが高くない「世にも奇妙…」(当時)なんだし大目に見ても、なのだが、情報戦である討ち入り計画に携帯という必殺道具が浪士側の手に入るのだから、忠臣蔵ファンの脳内にはタイトルだけ聞いた時点であれこれと勝手な名場面が思い浮かんでしまうのだ。すなわち携帯を使いこなし始めた浪士たちの使いよう、一方で吉良側に奪われて…とか、アンテナは誰が建て、はたしてその目的とは!?…とか、そういうことでもあるのかな?といろいろ想像力をかきたてられワクワクするが、実際に見てみるとその「行き届かなさ」が'''ほんとうにもったいなくって、ガッカリ'''するのです。タイトルから受ける期待と中身のガッカリの高低差はAVレンタルを失敗したそれに匹敵する。するのです。タイトルから受ける期待度と中身のガッカリの高低差はアダルト動画のダウンロードを失敗したときのそれに匹敵する。
尺の問題もあっていろいろはしょらなきゃいけない制約はわかるが、それにしてもコレが最良だろうか?そもそもこういう「トワイライトゾーン」的な番組は「お話」がまず肝心要なんじゃないんでしょうか。そもそもこういう「トワイライトゾーン」的な番組は「お話」がまず肝心要なんじゃないんでしょうか。それもせっかくの「劇場版」というお膳立てなのに。
だって、たった一台だけ未来とつながってるツールを内蔵助ただ一人に持たして一方的に未来人が何度も同じ事を聴くためだけに電話かけてくるんなら、多機能そもそも、たった一台だけ未来とつながってるツールを内蔵助ただ一人に持たして一方的に未来人が何度も同じ事を聴くためだけに電話かけてくるんなら、多機能*が自慢の「携帯電話」である必要がまったくないのだ。ケータイあるあるなネタも、使わずじまい。ぶっちゃけ「忠臣蔵」が題材である必要性も全然なし。が自慢の「携帯電話」である必要がまったくないのだ(携帯電話の形状自体にも意味が無い)。ケータイあるあるなネタも、使わずじまい(おかるが根付けをつけるシーンはある)。ぶっちゃけ「忠臣蔵」が題材である必要性も全然なし(皮肉なことにオチがそう言い表しているw)。<small>*もっとも、2000年当時では写メやワンセグはまだ普及してない。もっとも、2000年当時での機能はたかが知れている。</small>
あたし個人の意見だが、
当時「ナニワ金融道」で忙しい脚本家・君塚良一氏はこの仕事をいったんは断ったのに、プロデューサー氏が「ジェームス三木さんも、一流の脚本家はみんな忠臣蔵を一度は書いてるんですよ」と口説き倒したという。
…つまりはそんないきさつで売れっ子脚本家に無理に押し付けた(その心意気はうれしい)おかげで、まことにお気の毒にしあがったわけだ。…つまりはそんないきさつで売れっ子脚本家に無理に押し付けた(ファンとしてはその心意気はうれしい)おかげで、まことにお気の毒にしあがったわけだ。
作った人たちが悪いのではなく、「携帯忠臣蔵」が背負ったバック・グラウンドが不幸だったのだろう。「コレも運命か…。」無意識にハードルを上げてしまった(これがたとえば「ラーメン忠臣蔵」だったらどれほど傷が浅かったことか)制作者たちが悪いのではなく、「携帯忠臣蔵」が背負ったバック・グラウンドが不幸だったのだろう。「コレも運命か…。」(<劇中の内蔵助の台詞)  <加筆>私とは親子ほど年の離れた後輩が「小学生の時に見てオモシロイと思った」と言っていた。重畳。
== 原作について ==
「携帯忠臣蔵」を見ていて、最後のエンドロールに載っかってる「原作:清水義範 識者の意見」というクレジットに興味を持ち、早速それが収録されている光文社文庫「昭和御前試合」という短編集を手に入れて読んでみた。「携帯忠臣蔵」を見ていて、最後のエンドロールに載っかってる「原作:清水義範 識者の意見」というクレジットに興味を持ち、それが収録されている光文社文庫「昭和御前試合」という短編集を早速手に入れて読んでみた。
7ページくらいの、ホントに短編だが、これが7ページくらいの、ホントに短編だが、これがナチュラル素直に'''面白かった'''。ぶっちゃけ内容は映画とずいぶん違う。。ぶっちゃけ映画とずいぶん違う。
原作(原案原作(原案?)がどう面白かったか話し始めると、また「携帯忠臣蔵」のどこがまずかったかのハナシが長くなりそうなのではしょるが、先に書いた「一方的に未来人が何度も同じ事を聴くためだけに電話かけてくるんなら、多機能が自慢の「携帯電話」である必要がまったくない」という部分とか内蔵助に交信してくる必然性は原作では見事にクリアされてる。簡単に言うと「携帯電話」ではなく「時間話」という、テレパシーに近い手段で未来人は交信してくる。その目的も映画よりはるかにばかばかしくて面白い。ラストもセンスがある。)がどう面白かったか話し始めると、また「携帯忠臣蔵」のどこがまずかったかのハナシが長くなりそうなのではしょるが、先に書いた「一方的に未来人が何度も同じ事を聴くためだけに電話かけてくるんなら、多機能が自慢の「携帯電話」である必要がまったくない」という部分とか、内蔵助に交信してくる必然性は原作では見事にクリアされてる。簡単に言うと「携帯電話」ではなく「時間話」という、テレパシーに近い手段で未来人は一方的に交信してくる。その目的も映画よりはるかにばかばかしくて面白い。ラストもセンスがある。
この短編が喜劇として成立してるのは、内蔵助が内蔵助然としているからだ。まじめに討ち入り決行しようとしてる人に、チョイチョイ未来から邪魔が入るからアンバランスで面白い(いわゆる緩急この短編が喜劇として成立してる理由のひとつに、内蔵助が頭領然としていることがあげられる。まじめに討ち入り決行しようとしてる人に、チョイチョイ未来から邪魔が入るからアンバランスで面白い(いわゆる緩急(かんきゅう)という、お笑いの基本であり、同時に携帯あるあるでもある.)。
映画のように、おちゃらけたオッサンに携帯がかかってきても絵ヅラは「さもあろう」といった意外性のないおもむきである。映画のように、おちゃらけたオッサンに携帯がかかってきても絵ヅラは「さもあろう」といった意外性のないおもむきになる。
おっと、いかん、結局映画の苦言が始まってしまった…。

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