最後の忠臣蔵(映画)
作品概要 | |
制作会社 | ワーナーブラザース |
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公開年度 | 2010年 |
内蔵助役 | 片岡仁左衛門 |
評価 |
脱盟者に焦点を当てた討ち入り事件の16年後の後日談。
同じ原作でもテレビや舞台のように、諸国を回る寺坂吉右衛門中心の話ではなく、大石内蔵助から身ごもったおかるの面倒を見るよう密命を受けて脱退した瀬尾孫左衛門のおはなし。
監督がいい、音楽がいい。役者がいい。おはなしがいい。センスがいい。撮り方が良く画が綺麗。衣装もいい。
美しく、丁寧で繊細で、やさしくきびしく、楽しいようでさみしく、でも、きっと幸せ。
実はつっこみどころがいろいろあるのに、総合点が高いのでまったくオッケーというめずらしい傑作。
ずっと泣きっぱなしだったので目が炎症っぽくなり、劇場から事務所に帰ってきて乾燥してるんで、なんかヒリヒリする。
この作品のどこが良かったかを細かく言い出すと、冒頭からエンドロールまで全部解説しなきゃいけないので「機会があったら見てみたらいかがでしょう」としか言いようがない。
ただ、本作は江戸時代を背景とした、現代ではまったく考えられない「価値観」を軸に話が展開するので、ここについていけないノリだと2時間以上を棒に振る。
女優アイドルグループbump.yの桜庭ななみちゃん(大健闘)はファンになりました。
ネタバレ「あそこがよかった」
初めてこの映画見たとき1番泣いたのは、寺坂のねぎらいをうけた瀬尾の体内から「なにか」重たいものがほ〜〜〜っと抜けていき、鬼になって使命を果さんとしていた孫左の顔が寺坂と血盟の友達の顔に戻るところと、ほぼ似たタイミングで可音(かね)が「決意」をする、連続したシークエンス。
でも1年ほどおいてブルーレイを見たら寺坂が花嫁行列を用意してくれるシーンでオワッとこみ上げてしゃくりあげてしまった。
もう、そんな生理現象を青臭く語りたくなる不思議な感動なのです。
構成もうまいってたってことなのかなあ。マゴザの可音との回想もね、お嫁入りの時じゃなく最後に持ってくるでしょ。あれがマゴザの愛なわけですよ。
そう、この映画にはいろんなひとの「愛」が描かれている、れっきとしたラブストーリーであり、チャンバラではありません。
忠義とか友情とかLOVEとか、いろんな言葉で表される「愛」がいろんなカタチでいろんなひとの中でふくらむ。どの愛も一筋ですごく熱いっ。それでいて作品自体はホッコリしている適温。
ちょっと乱暴かもなんで、これは極めてひとりごととして受け取っていただきたいのだが、独りの男が使命を貫いた果てにひとつの若いカップルの幸せの誕生を見て命を終わるというカタチが「レ・ミゼラブル」のジャン・バルジャンの人生に似ており、作品を見ながら涙する時は同じ脳波を出してるだろうなとレミゼの「エピローグ」を聴きながら思いましたものです。
さて、本作を見た人がよく、墓場で旧臣の柴俊夫がマゴザに面罵し、暴力を振るうシーンに対して「義盟に加わらなかった男が、どの口で逐電した者を責めらりょう」と言うんだけど、私はこう見た。
古い講談本の木村岡右衛門のエピソードにあるのだが、さっさと城を離れた人と討ち入りメンバーというのは立場が「同じではない」ようなんであります。
でも、それって講談本を読んだ、あたしの解釈であって、原作の池宮さんや杉田監督がどう考えてあのシーンを作ったかはわかりません。
つっこみどころ
さすが「北の国から」の杉田成道(すぎた しげみち)監督、人間を描く腕前は一級品なんだけど、細かいディティールをこだわらないひとなんです。
討ち入りの時に吉良邸の庭の石橋の欄干が軽くふらふら動いてても特にCGで修正しようとしないし(公開半年ほど前に映画は完成しているのに、である)。
前述の墓場のシーンに見切れてる墓石に「文政」とか「昭和」とか思いっきり書いてあってもお構いなし(笑)。
あたしもくわしくないけど、もっと細かいことを言うと、「藩」という言葉は当時無いとか(明治時代)、人形浄瑠璃は当時は2人で操作してたとか…(本作の時代背景の16年後に三人遣いが始まったそうです)。
でも本作は、そういうヲタっぽいことはほんとうに「どうでもいい」の。もっと優先すべき仕事がまっとうされてるから。
良質の映画は七難隠す。