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木村岡右衛門

4,793 バイト追加, 2013年8月31日 (土) 16:38
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 討ち入り後、市之丞は(たぶん前世の宿縁で)超〜偶然にも木村がお預けになってる松平家に就職してたので再会を果たす。「憎い木村岡右衛門…討ち入りなんかしちゃあ、親のカタキができないじゃんか…誠忠の武士になんで刃が向けられましょう」と泣いた。それどころか「市之丞君だって長年浅野家のご扶持を受けてたんじゃん。亡君の恨みを晴らした木村さんにお礼を言ってもいいくらいなんじゃない?」とかぶせるように松平家の家臣坂口さん。そばで見ていた安兵衛が「父親の敵に礼を言うなんてヘンですよ。木村さん、討たれてあげりゃいいじゃん」この頃から木村と市之丞に妙な友情が芽生え始め、一同切腹の折、岡右衛門のリクエストで特別に市之丞に介錯がゆるされました。
 
 
以上は講談だが、実際に木村岡右衛門は松平家の宮原久太夫というひとに介錯してもらってる。宮原さんは自分が介錯した岡右衛門と[[大高源五]]の遺髪を地元・松山(松平家は伊予松山藩)に持ち帰り、菩提寺・興聖寺(こうしょうじ)供養塔を建ててそこに埋めたそうです。お墓は現在も残っていて松山義士祭というイベントがいまもあります。
大坂の妻へ「今夜討ち入ります。50人くらいだからみんな死んじゃうかもだが、侍の女房なんだから嘆かないでほしい。主君のために死ぬのなら本望です。あなたも早々に再婚してください。私が死んで50日経ったらお似合いの人ときっと結婚してくださいね」という内容の遺書を送ってる。
討ち入りのユニフォームに生前に作ってもらった法名もクレジットしていたのはこの人だけ。兜の中には自分で作った漢詩?も入れていた。討ち入りのユニフォームに生前に作ってもらった法名もクレジットしていたのはこの人だけ。兜の中には自分で作った漢詩を縫い込んでいた。
腰が抜けた小坊主に「水をくれ」とたのんでいる。

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