「桂昌院」の版間の差分
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母親が早くに死んだのでもらい乳の父子家庭で育ち、子供の頃は[[狆|ちん]]の置物と間違われるような器量であったが、日ごろ出入りの摂家・鷹司家の女中〜奥方までが、タマのあまりの愛嬌の良さ(目尻が垂れてクチとつながりそうで、一目見ると誰でもプーッと笑ってしまう顔)を気に入り、なによりタマと同じ年の依姫に気に入られ、召し抱えられる。 | 母親が早くに死んだのでもらい乳の父子家庭で育ち、子供の頃は[[狆|ちん]]の置物と間違われるような器量であったが、日ごろ出入りの摂家・鷹司家の女中〜奥方までが、タマのあまりの愛嬌の良さ(目尻が垂れてクチとつながりそうで、一目見ると誰でもプーッと笑ってしまう顔)を気に入り、なによりタマと同じ年の依姫に気に入られ、召し抱えられる。 | ||
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2019年5月15日 (水) 06:58時点における最新版
3代将軍・徳川家光の側室で徳川綱吉のおかあさん。
忠臣蔵では彼女が綱吉(孝行息子)の決断に大きくからむことがよくあり、また綱吉も彼女の顔色をうかがって政治を執り行うかのような演出が見られることもある。
綱吉が将軍になった時は仏門に入ってたので、ドラマでは尼さんの格好で登場する。
八百屋・たろべえ&おさくの娘で京都・清水寺の門前で生まれる。幼名タマ。(桂昌院は"玉の輿"の語源だという説がある)
母親が早くに死んだのでもらい乳の父子家庭で育ち、子供の頃はちんの置物と間違われるような器量であったが、日ごろ出入りの摂家・鷹司家の女中〜奥方までが、タマのあまりの愛嬌の良さ(目尻が垂れてクチとつながりそうで、一目見ると誰でもプーッと笑ってしまう顔)を気に入り、なによりタマと同じ年の依姫に気に入られ、召し抱えられる。
寛永二年。家光と鷹司家の婚礼を期に16歳になった依姫がお輿入れとなり、側女としてタマも大奥に入るが、あまりにブサイクだということで湯殿番になる。
将軍が酔っぱらって湯気もうもうで紗が掛かってるところにいたタマは気に入られお手がついて家光の子を宿し、男の子を産む。このとき将軍の側用人の松平右京太夫がたろべえの履歴を詐称する。
「美人は三日見たら飽きるが、ブスは三日見たら慣れる」のたとえの通り、タマは家光の寵愛を受け、息子・綱吉は五代将軍となり、しまいにゃ従一位。
徳川265年の歴史の中で、女でもって一番の出世をしたという、「桂昌院」という一席でございました。
「元禄繚乱」では京マチ子が演じたんですっかり美人のイメージだったが、講談を聴くと「あたしたちブサイクは演技でがんばらなきゃダメなのよ!」と後輩・泉ピン子にきびしかった「忠臣蔵・女たち・愛」の杉村春子の配役は妥当だった?