潮田又之丞

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役者絵:荒勢永英

潮田又之丞【うしおだ またのじょう】…中村とともに大石の部下。

なにげに開城から討ち入りくらいまで、内蔵助のお供をしていろいろ働いてる人。

原惣右衛門とともに安兵衛たち急進派の鎮撫に江戸へ下った際、姫路でお勤めしてた頃の知り合いの船宿に就職。「サムライ言葉じゃ勤まりませんぜ」「ぞんざいな言葉も出来るぞ。エヘン、土手っ腹に風穴を空けて鰹節ぶち込んで猫をけしかけるぞ!」「わ、わかりました。合格」

又之丞の船でしばしば船上会議が開かれた。

一方でこんなエピソードも。

車力(しゃりき:肉体労働者)をして吉良家の造園に紛れ込んだが、ウロウロしてるところを家来の真貝弥七郎に見つかって殴られるが車力仲間に助けられる。

その因縁で討ち入りのときに真貝と一騎打ちをする。斬られた真貝は「これは心外、心外」とだじゃれを言ってるところをとどめを刺される(講談)。


この人も元禄14年9月下旬に江戸急進派を説得に原惣右衛門、中村勘助、大高源五らとともに江戸へ下向して逆に丸め込まれたクチ。

講談、浪曲では真貝弥七郎と戦ってるが、清水一学に致命的な一槍をのどにブッ刺した人と伝えられる。

医学詳しいという説も(三味保童園の悲報を知っていた<ってなにそれ)。


引き揚げの時に上野介の首を槍先にくくってかついで歩いた。

享年35。


役者絵は「必殺忠臣蔵」の荒勢。おなかの模様は家紋の「丸の内に三引」ってのだと思うんですけど、潮田さんは「三ツ九曜」って本にあったんで間違いだと思ってたんですが、「昔の人はいくつも家紋を持ってたようですよ。」と泉岳寺の土産物屋・小泉義士堂のご主人が言ってました。そこで買った「赤穂義士家紋帳」には両方載ってました。


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