片岡源五右衛門

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役者絵:竜雷太
役者絵:郷ひろみ

片岡源五右衛門【かたおか げんごえもん】…実直キャラ。

ゲンゴ。内匠頭のお気に入りの側用人。

松之廊下事件のあと早水、萱野を早打ちに発たせたのち、内匠頭の預けられてる「田村邸に行くも面会を許されなかったが「せめて垣根ごしなり一目なりとも…」と涙ながらに訴えて、誠忠のこころざしを察してもらい、会場に入場許可された人。

この講談、浪曲の「田村邸の別れ」というエピソードが有名。

切腹の場所に向かう途中、縁側の下でひれ伏すゲンゴに声をかける。「申し残すことはない。ただ上野介をうち漏らしたのが残念じゃ…」

映像作品では無刀無言を条件に入場させてもらうパターンが主流で、殿との涙ながらのアイコンタクトの演出が泣かせる。


史実的には遺体を取りに来ただけで、生前に会ってないとか。


側近で殿への思いも強いため当初から仇討ちを強硬に主張。同じ江戸に住んでいながら急進派の堀部安兵衛たちとは別行動をし、田中貞四郎(はのちに脱盟)、礒貝十郎左衛門とともに独自の行動をとっていた。


講談エピソード

側用人を勤める前、郡奉行(こおりぶぎょう)を勤めてたころ、片岡の屋敷の庭におりた丹頂鶴を部下が間違って殺してしまい、大罪になるところを片岡は「急病で勝手に死んだのだ」ともみ消してあげて、みんなで「ていねいに葬ってやろう」と言って家内一同がかりで吸い物の具にして食べた。内蔵助はエピソードを聴いて「いかにも源五右衛門らしい当意即妙のとりはからいだ」と感心した。(なんじゃこりゃw)


もとは尾張の藩士、熊井重次郎の息子であったが、浅野家の家臣・片岡六左エ門に養子に入った。浅野家に入ってからは殿様にたいへんに気に入られ、どんどん加増。よほど役にたつヒトであったと見えます。

大変後、江戸家式を引き払いがすんで赤穂へ急ぎ、赤穂城引き渡しが決まったあと実家の熊井家に寄る。

実の父親にも作戦のことは口外出来ないので、父・重次郎から「不忠者」とさんざんなじられキセルで横面をピシーリと打ったれたり蹴られたりたりした。

討ち入り後に源五右衛門から届いた書状に重次郎は「許してくれ」と声をあげて泣き伏した。



浪曲師・国本武春さんは刃傷松の廊下と田村邸のようすを三味線ロックとバラードで聴かせてくれる。


浅野内匠頭とは年頃もそれほど変わらない衆道の仲にもかかわらず、昔の映像作品では講談の「側用人」というイメージからか、「たよりになるおっさん」というかんじの全然年上の役者が当てられることが多かった。

はっきり「いいおとこ」でキャスティングしたのはNHK大河ドラマ「峠の群像」あたりからではなかろうか。郷ひろみが演じ、殿様と一番近かった元・藩士として仇討ちでも叛逆でもなく、ひたすら「殿の意趣をつく」として吉良をつけ狙い単独行動する、クールな暗殺者として描かれていた。


享年37。


(片岡、礒貝、田中で殿さまラブ急進派トリオ)

関連項目