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忠臣蔵(大映)
,編集の要約なし
[[画像:Katsu_s.jpg|thumb|役者絵:勝 新太郎]][[画像:okano00.jpg|thumb|役者絵:鶴田浩二]]
そうして仕上がった彼の浅野内匠頭は素敵だが、シンが強そうなのでとことん「かわいそう」には見えない。切腹のときも無刀無言で面会が許されてるはずの[[片岡源五右衛門]]とあっさり会話してるしw。と、あっさり会話してるしw。
後半は急に落ち着いた、丁寧なドラマ構成になっている。鶴田浩二の[[岡野金右衛門]]が露出度が多く、吉良側の間者の京マチ子のシークエンスも多い。このあたりのめりはりが映画を退屈させない。
これらのエピソードのおかげで東映や東宝に比べて本作品は、'''講談色が濃い'''。
もともと渡辺邦男監督は「ひねくれた解釈なしに、誰にでもよくわかり、面白く見られる、言うなれば「講談忠臣蔵」を作りたいと思っている」と語っていたそうです。<small>(別冊近代映画 '58)</small>
大映でメガホンを取るのは初めての渡辺監督は、いったんは大映常務の松山英夫([[忠臣蔵 地の巻/天の巻|日活時代にバンツマで忠臣蔵]]を成功させている)の直々のオファーを断っているが、松山の「講談調の忠臣蔵を…」の、言葉に動かされたという。<small>(昭和33年「アサヒ芸能」NO.614)</small>
結果、本作は奥することなく正調忠臣蔵を言っていい作品には仕上がっているが、いささか泥臭い。 この映画でもっとも特徴的なのは、全編にわたって要所要所で[[多門伝八郎]]が月光仮面(鞍馬天狗?)のように奔走してかなり浪士側をバックアップしてくれる部分。が月光仮面(怪傑黒頭巾?)のように奔走してかなり浪士側をバックアップしてくれる部分。
忠臣蔵系ではこの翌年「[[薄桜記]]」に出るが、1960年にめでたく座頭市の原型「不知火検校」を演って、1961に「[[ドドンパ酔虎伝]]」やったあと(もちろんほかにもいっぱい出てますよ)遂に1962年、ライフワークとなる「座頭市物語」のリリースに至る。おめでとうございます。
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画像:daiei.jpg|thumb|演出中の渡辺監督。アサヒ芸能より。
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