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斧定九郎
,編集の要約なし
== 扮装いまむかし ==
江戸時代、中村仲蔵(なかむらなかぞう)がこの役を勤めたとき、それまで山賊の扮装(歌舞伎研究者・藤野義雄先生や浮世絵研究家・新藤茂先生や古典落語によると'''夜具縞(とか大島柄)のどてらとまるくけの帯、たっつけ袴(とか紐つけ股引)に五枚重ねのわらじに山刀をさし、頭は百日カツラ〜月代夜具縞(とか大島柄)のどてらとまるくけの帯、たっつけ袴(とか紐つけ股引)に五枚重ねのわらじに藤蔓巻きの山刀をさし、頭は百日カツラ〜月代(さかやき)の長くのびたやつ〜に、イグサで組んだ山岡頭巾''')だったこの役を'''白塗り顔、のびた五分月代(さかやき)のヘアスタイル。黒羽二重の単衣(ひとえ)に白献上の帯、朱鞘の大小を落とし差し、腕をまくって尻からげに白塗りの脚の浪人姿'''にアレンジし、ドキッとする美しさの強烈な色悪(ヒール)にしあげて大好評を博し、以降それがスタンダードとなる。(オリジナルの文楽が逆輸入したほど)
演出家・蜷川幸雄はご自分の舞台「[[蜷川幸雄の仮名手本忠臣蔵|仮名手本忠臣蔵]]」において定九郎役の清家栄一氏に「映画『ブラックレイン』の松田優作のイメージで」と言ったという。なるほど。」において、定九郎役の清家栄一氏に「映画『ブラックレイン』の松田優作のイメージで」と言ったという。なるほど。
== 誕生秘話 ==
(浪曲「定九郎出世噺」だと仲蔵夫婦の馴れ初めまで遡る。講談「中村仲蔵」ではこの開発は明和3年にされたとしている。)
いまスタンダードなのは、与市兵衛が休憩していると背後の掛け稲から白い腕がぬぅっと出てきて50両を盗むという、実に静かで不気味な演出で、これは四代目市川団蔵が、与市兵衛と二役の早替わりを演じてまずセリフが無くなり(1781?)、白い手は七代目の団十郎(1791〜1859)が考案したとされ、明治時代に九代目市川團十郎が「五十両〜」のみにしたとか。
ちなみにこの「白い手〜早変わり/二役」バージョンは2013年12月の中村吉右衛門(2nd)の「知られざる忠臣蔵」公演・「忠臣蔵形容画合(すがたのえあわせ)」において中村歌六(5th)が再現したのが見られた。定九郎が殺されて'''イノシシのようになった与市兵衛'''と舞うように闘う(どないやねん…ッて思ってたら国立劇場制作部さんのアイデアによるバリエらしい)。
後塵の「'''太平記忠臣講釈'''」では定九郎が落ちぶれるキッカケが描かれている。
その影響を受けて作られた「'''忠臣蔵後日建前'''」には定九郎の奥さんの復讐劇「女定九郎」てのもあるそうです。」には、定九郎の奥さんの復讐劇「女定九郎」てのもある。
定九郎の女房・まむしのお市が山崎街道に独りでいるおかるの母親・おかやのところまでゆすりに行くが、おかやが実の母親と知ってお市が猟銃自殺するという「仮名手本」の後日譚(すげえな)。
また「'''菊宴月白浪'''(きくのえんつきのしらなみ)」(鶴屋南北原作)という作品ではどういう風の吹き回しか、討ち入りの1年後を描いた、定九郎が塩冶家のために忍術まで使っていろいろ力を尽くすというエピソード(もどき:パロディ作品)もある。
== 関連作品 ==
* 「[[「此村大吉」もの|朱鞘罷り通る]]」(東映)1956…中村仲蔵のハナシ
* 「[[中村仲蔵]]」/ 「[[五段目]]」(落語)